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天穹の果てに/10

<武神>

王騎将軍のことだから、きっと、何か策を潜ませている筈。初めは順調に攻め入っていたが、名前は嫌な予感を胸に、第四軍の中を変動的に駆けまわっていた。それは、小隊を指揮する小さな駒を潰すため。今のところ、千人将だけで言えば3人程は潰している。それでも、このまま続けばどうなるか…名前があたりを警戒しつつ戦っている最中、軍中央では王騎将軍とその副官騰が戦況を判断していた。

「危ういですねェ、左軍は」
「やはり、馮忌の誘い込みですか」
「……」
「だから、あえてあの娘を左軍に残したという訳ですか」
「えぇ……あの娘…案外使える駒かもしれませんからねェ、武術の腕はそこそこながらも、頭はいいようですから…流石は昌文君の子、と言ったところでしょうかねぇ、ココココ」

それに、私たちが策を潜ませている事、言わずとも察するでしょう。かつての昌文君もそうでしたから。

大人たちが考える通り、名前は何かを察していた。戦場で敵兵を刺し殺しながら、ある事を考えていた。それは、信が配属されている位置だ。王騎将軍は去る間際、名前だけに小声で信が配属された位置を呟いていった。それを聞き、名前は王騎将軍が何らかの策を、信に与えた事を察した。

「―――壁!下がれ!!」
「な―――ッ」

暫くして、左軍の足は止まってしまった。おまけに、真横から放たれた無数の矢。やはり、誘い込まれていたか。名前は襲い掛かる矢を棍で払いのけながら急いで壁の元へ駈けつける。こうなるだろう、とは予想していたので名前の隊は三つの隊に分れ、二つを副官の狼と瑛が、残りを名前が指揮している。あえて細かくし、より多くの駒の首を潰すためだ。そして、臨機応変に動くため…でもある。

「―――よし、瑛が残りの歩兵たちを移動させている、すこしは被害を抑えられる…かな」

砂埃の向こう側で、瑛の旗がちらりと見えた。

「壁!」
「名前…すまない!」
「生きている歩兵たちはある程度確保してある、騎馬隊はどうなってる?」
「まだそこまでは…私は前線で、お前は後方を頼んだ」
「任せて」

兵の数がどれだけ減らされたのかを確認し、動くことも戦では大切な事の一つだと父から教わっている。名前は壁の無事を確認すると、後方に退き、士気を失った兵士たちの元へと駈けつける。

「盾を拾って!ただの矢だ、盾を使えば安全だ!」

敵兵の落とした盾を拾わせ、準備の整った歩兵たちを前線へ、壁の元へと送る作業が暫く続くだろう。

「退がるな!これは敵の罠だ!退がっても皆殺しにあうぞ!!」

少し離れたところから、壁の喝が聞こえてくる。

「活路は前だ!!」

そう…壁の言う通り、これは決して退がってはいけない戦い。敵の罠だろうとも、こちらが囮にならなければ…王騎将軍の策は成されない。

「壁千人将の言う通りだ!前へ進め!活路は我々が切り開く!後に続け!」

隊長の壁は先ほどの弓矢攻撃で負傷したようで、肩からだらだらと血を流している。勿論、それは壁だけではない…前線にいる兵士たち皆が同じこと。名前ですら、肩に弓矢が刺さり血を垂れ流している。今この弓矢を抜くと大量の血を失い危険でもあるのであえて弓矢は抜かず、そのまま戦いに身を投じるほかないだろう。

分裂していた名前の隊が集まり、前方にいる兵士たちをなぎ倒していく。こういう時の為に、力を温存していたので、名前の隊はほかの隊よりかは負傷者が少なく、より深い場所まで切り込む事ができた…しかし、敵将も此方の動きを見逃すわけがなく。

「ッチ、下がるつもりか…弓矢の攻撃がより当たるように…ッ」
「いつまでこんな死闘続けなきゃならないのかい!?」
「まだまだ!信たちが…授けられた策を成すまで…!」
「信って…あの坊やかい…?」
「そう!王騎将軍の……飛矢…!」

ここまで来ると、流石の名前も王騎将軍の策の全貌が読めた。信に、馮忌を討たせるつもりなんだ…と。

「―――干央軍長に続け!我々も馮忌に迫るぞ!」
「おお!!」

背後から現れ、気が付けば前線を駆け抜ける干央軍長を追い、馮忌を守る前線の兵たちを蹴散らし進んで行くと、ついに列から抜け、広い空間が目に入った。その中央には…趙軍の大きな旗が揺らめている。間違いない、あそこに馮忌がいる。そして、ボロボロ姿の信たちの姿も目に入った。

「名前、向こう側は任せたぞ」
「はい、干央軍長」
「っふ……殿の言う通り、勘のいい子供だな」

干央と言葉を交わし、名前は干央の後方に下がる。今後ろを付かれれば、王騎軍の干央だとしても相当な痛手になるはずだ。干央が前にいる馮忌の攻撃を引き付け…その間に名前は後方から攻めてくる敵をこれ以上干央軍長の方へ迫ってこないよう押しのける。

「壁ッ、いいところに!」

後方の敵を倒していると、壁隊の仲間たちが前方までたどり着いたのを確認した。そして、その中に負傷した壁がいて、名前に気付くなりすぐさま駆け寄ってきた。

「名前、お前は干央軍長の元へ!後方は任せろ!」
「…うん!」

王騎軍の干央軍長なのだから、名前が向かう必要性はなさそうではあったが、生真面目な壁の事だ。念には念を、という意味なのだろう。

「わかったよ…でも、正直、壁のほうが心配」
「―――干央軍長を第一に考えろ」
「…わかった」

絶対に、死なないでよね。そう強く念押しし、名前は馮忌の兵たちと死闘を繰り広げている干央軍長の元へと駈ける。彼より少し離れた後ろの方で戦況を見渡しつつ戦っていると、信が馮忌めがけて飛び込んでいく様子が目に入る。それは、丁度趙軍の千人将を一人殺したときだった。

「はー…」
「安堵するのは早いよ隊長さん」
「わかってるよ狼…」

趙将馮忌が飛信隊の信によって討ち取られた事を、干央軍長は高らかに声を上げて宣言した。きっと、干央軍長の心遣いなのだろう…これによって、飛信隊の名は広まっていく事、間違いなしだ。それにしても、飛信隊だなんていつそんな名前が付いたのだろう。きっと王騎将軍が名付けたのだろうが…と、ここで自分の隊に名前がない事に気が付いた。

「ねぇ、壁、ワタシの隊ってそういえば名前つけてなかった…」
「―――そうか…えぇ!?」

信が仲間たちと再会を喜び合っているのを見つめながら、ぼそりと壁の耳元で呟く。

「無事帰還したら、殿から隊の名を頂こう」
「まぁ、別に名前無くてもいいんだけどね、壁隊の副官だし」
「いや、名前の働きは大きかった、もしかしたら、壁隊を離れ、独立遊軍になるかもしれんぞ」
「えぇ~!?嫌だよ面倒く…あいてっ」
「ったく、お前と言うやつは…」

そして、本日の戦いが終わり、壁隊はそれぞれの陣幕へと戻っていった。陣幕で汗を拭きとろう…そう思い、鎧を脱ぎかけた時自分の陣幕にまさかの人物がいてその手を止める。というか、なんでこの男、ここにいるんだよ…。

「騰殿、何故こちらに?」
「殿から話は伺っている、随分活躍したそうではないか」

陰湿な手で打ってきたな、と表情を変えずクククと笑い声をあげる騰を若干不気味に思いながらも、名前はとりあえず労いの言葉を素直に受け止める事にした。

「恐縮です」
「今頃趙軍は臨時の千人将を探し回っている頃だろうな」
「長引かせないためにも…と思いましたので、上手くいってよかったです」

指揮官を潰せば、軍などただの烏合の衆。

「ところで、騰殿はいつ頃お戻りになるのですか?」
「ふむ、しばし付き合え」
「…人の話聞いてます?」

結局、その夜は遅くまで騰が名前の陣幕に居座り続け、翌日若干の寝不足に苛まれることとなる。

「っぷ、ちょうウケル」
「笑いごとじゃないってば…」

どこからその話を耳にしたのか、来黄が馬上で笑う。ちなみに、狼は壁に呼ばれて別の場所で待機している。

「騰副官殿とふたりっきりで夜遅くまでねぇ…」
「別の意味で戦場だったよ…」

貞操の危機が目の前にあるんだからさ。昨夜の事を思い出してはげんなりするものの、今は戦場。気の緩みは死を意味している。すぐさま表情を変え、名前は副官の来黄に指示を下す。

「―――という訳だから、今日は特にキツい一日になるから、がんばって」
「ハァ、そうですか、まぁ、善処いたしますがね…」

戦いが始まり、すぐさま攻めの姿勢に入った秦軍からは蒙武軍が先陣を切っていく。そして第一軍録嗚未軍、並びに第二軍、第三軍、四軍、五軍と…秦軍はついに趙軍への総攻撃を仕掛けた。第四軍の壁隊に所属する名前は、第四軍の後方に回り味方の援護に駆け回った。総攻撃一日目が終わり、その夜、事件は起こった…なんと、信達が休んでいた場所に趙軍大将、龐煖が現れた。奴は現れるなり飛信隊の男たちを次々と殺し、突然姿を消したそうだ。信たちの無事を祈りつつ、名前はいつ現れるか分からない敵を警戒し、一睡もすることなく朝を迎えた。信が無事である知らせは早朝、壁の陣幕に伝わったが勝手に持ち場を抜け出せない壁たちは、命がけで逃げてきた信たちを労わる事もできない。

「…壁も結局、一睡もできなかったのか」
「皆が命がけで戦っている最中に眠れるものか」

ふ…そうだね、壁って本当にいい人だよね。彼の背中を見つめながら、名前は小さく微笑む。この人が上司でよかった、とこういう時は特に感じる。

総攻撃から二日目、蒙武軍が着々と趙軍を押し込んでおり順調に見えているが、馬上で名前はのどに魚の骨が突っかかるかのような、妙な違和感を覚えた。王騎将軍が戦4日目にして総攻撃を仕掛けてきた、ということは急がなければならない理由があるはずだ。急がなくてはならない理由……いったい、何なのだろう。

「ぼーっとするなよ、隊長」
「…助かったよ、狼」
「ったく、呑気な隊長さんだ、こんな時に考え事とは」
「…そうだよね、狼の言う通り…今は何も考えず、仕事をこなそう」

戦の最中だというのに、考え込んでいたあまり隙を作ってしまったようだ。狼が間に入ってくれたお蔭で串刺しにならずには済んだが、流石の名前もこれには少し反省した。父上が信頼するあの王騎将軍がいるんだ、負けるはずが無い。今は駒として、使命を果たそう。棍をくるくると回し敵陣へと再び切り込んでいった。

「…あはは、やばい、死ぬ、かも」
「笑いごとではありませんぞ名前様!どうかここは我らにお任せください!その間に、名前様は後退し、一旦隊の立て直しを…」
「そんな余裕、どの隊にもないよ……いや、ワタシらの隊よりも蒙武軍のほうがやばいかもね」

何しろ……数多の罠により、蒙武軍にはそれほど戦力が残っていない。今ここで総大将とやり合うなんて、自殺行為だ。だからきっと、王騎将軍は動いている筈…中央の、敵総大将の待つ場所に。

開戦より五日、ついに両軍の大将同士が対峙することとなった。名前は壁隊を離れ、蒙武軍の背後に回っている。ちなみにこれは王騎将軍からの命だったので、仲間に伝令を頼み、すぐさま壁隊を離れたという訳だ。

「俺たちだけ壁隊を離れるって事は、俺らの大将は何か考えがあるってこったな」
「念には念を……という意味じゃないかな」
「…どういう事、でしょうか」

瑛が首を傾げる。

「狼、それに来黄、隊を二つに分けるからよろしく」
「はぁ?隊長、また私らに無茶させる気?」
「だって、2人とも強いし、すごい頼りにしてるよ!」
「おいおい、俺らだって人間だぜ?」
「……お給金弾むから…ね、お願い!」

隊を二つに分けるという事は、力を分散させるという意味がある。力が分散すればその分力も弱くなる。それでも、今回ばかりは念には念を…という訳で隊を二つに分け、力を温存しつつ猛攻せねばならぬ理由があった。

「瑛はワタシの後ろの隊を率いて、ワタシと一緒に行動、で、狼と来黄は…うまくやってくれるって信じてる」
「雑な命令だな」
「えぇ…」

雑になるのは許してほしい、何しろあまり時間がないのだから。渋々二人は隊の半分を率いて更に後方へと下がっていく。それを見送りながら、名前は退路の事を考えていた。もし、相手がさらに策を仕込んでいた場合…退路を確保する必要があるからだ。つまり、それはこの戦において秦軍の敗北を意味しており……。

「―――まぁ、死ぬ、なんてことはなさそうだけど、死んだらやばそう」
「…何を先ほどから一人でぶつぶつと仰っているんですか」
「瑛、今日は多分この戦で最も過酷な状況となる日だよ、覚悟しておいて」

この戦、万が一の事があったら…無事にここから逃げ切る事が出来るだろうか。万が一の事とは、秦軍大将の死…つまり、王騎将軍が死ぬ、ということ。大将が死ねば…これだけの軍勢だ、士気を失いより多くの兵士たちが死ぬだろう。見せしめに嬲り殺され―――。想像するだけでゾッとする。

生き残らなくては。
生きて、生きて、生き抜いてみせる。

名前は手にしている武器を強く握りしめた。そして、騰が切り込み…そして、それを合図に全軍が趙軍に突撃を開始する。

Published in天穹の果てに