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天穹の果てに/04

<蛇甘平原>

王弟反乱から3ヵ月が過ぎた頃、秦と魏の国境の地である滎陽をめぐる争いが激化した為、名前にも強制徴兵がかかった。ちなみに、黄河沿いにある滎陽は魏の玄関口であり両国にとって最重要の拠点の一つだ。魏は後方より3軍を終結、秦も各地域の軍を終結しながら滎陽を目指している。規模は両軍ともに15万…この年、最大の戦が始まった。
昌文君の息子、という定義である名前は壁の副官として任務に就くことになっており、早朝、壁たちと共に咸陽を後にした。

「ねえ壁、今回信もいるって聞いたんだけど、やっぱり歩兵じゃダメ?」
「信と同じ伍で戦いたいのか?すまないが、それは無理だろうな…これは殿の頼みでもあるから」
「ちぇっ」

些か、過保護すぎではないだろうかと思ってしまう。まぁ、そのお蔭でまだ嫁に行けない姉に比べればまだ自分のほうがマシかもしれない。昔に比べて自由に出歩けるようになったとは思う。

「名前殿は俺たちで守りますから安心してくださいって」
「いいよそういうのー、それじゃ何のために鍛錬してるのかわからないじゃないかー」

馬にまたがりながら、隣にいる壁とその仲間たちに向けてため息を漏らす。
今回の戦、そう簡単なものではなかった。名前にとってここまで大きい戦は生まれて初めての事で、壁の副官という立場も初めてだ。何をどうしたらいいのかわからなかったが、とりあえず自分の力を信じて戦うほかないだろう。

「えぇ、丸城が落ちたの?」

夜になり、壁を含めた千人将たちが将軍と共に軍議をしている間、名前は陣幕から漏れる声を耳にして思わず声を上げる。

「黒剛将軍は討ち死になされたようだな…」

将軍の死ではとどまらず、城内の人間は老人女子共にいたるまで皆殺しにされたそうだ。

「…仇を、取ってあげなくちゃだね」
「あぁ…酷いもんさ」
「戦国時代って感じがする」

早く、戦国時代なんて終わってしまえばいいのに。名前の呟きは夜空に消えていく。
翌朝、第4歩兵部隊の集まる場所に到着した名前は、きょろきょろとあたりを見回した。それはもちろん、信を探すためだ。

「名前殿、あんまりふらふらしないでくださいよ」
「わかってるってば」

千人将が乗せられた馬車の隣に、子供が馬上してそこにいるということはとても異様な光景なのだろう。歩兵たちに様々な視線を向けられながらも、名前は壁の部下の小言を聞き流しつつ信を探した。

「よォ、壁、それに名前、久しぶり」

探していた人物は、自分の方からやってきてくれた。馬車の前に立っている信はあの時よりも背が少し高くなっているような気がした。それに、少し逞しくなったような…。

「やはりいたか、相変わらずだな信!元気そうでなによりだ!」
「ひっさしぶりだね信、君がこれに参加しているのは父上から聞いていたから、会えるの楽しみにしてたんだ」
「そっか、おっさんは元気そうか?」
「うん、元気も元気だよ」

あまりここで長話をしていたら進軍の妨げになるだろう。あとで陣幕でね、と言い残し信と別れた。ちなみに、あのガキたちは一体何者なんだ、と動揺する歩兵たちの声が聞こえてきたのは言うまでもない。

「三カ月の間でまた少したくましくなったようだな、信」
「壁のあんちゃんこそ見違えたぜ、千人将ってすげぇじゃんか!名前は歩兵じゃねぇのか?」
「あーワタシは父上から頼まれて壁の副官やってるよ」
「副官!?それもすげぇな、千人将の副官とか…俺も負けてられねぇな」
「本当は信と一緒に戦いたかったんだよ、同じ伍になれたらなぁって思ってたのにさ」

ちらりと壁を見ると、ワザとらしく咽てみせた。

「…ゴホン、と、ところで信、あれから一度も会いに行けずすまなかった、後処理に追われてずっと不休だったのだ」
「後処理?」
「そーそー、大王様の命を狙った不届きな反乱は関係者の九族までさらし首にするはずなんだけど、呂氏への抵抗勢力は残さなくちゃならないから、反乱そのものをなかったことにしたんだよ」
「えぇ!?反乱そのものをなかったことに!?」

ワタシも散々こき使われてね…と呟くと、壁に肘で小突かれてしまった。
竭氏一党内の構想で党首らが死んだとし、最小限の処理で治めることとなり、竭氏の勢力はそのまま肆氏に引き継がせた、という訳だ。

「バハハハ、相変わらずめちゃくちゃな王だな」
「笑いごとではない、こちらは大変だったのだ」
「ほんとそれ」

あれは本当に地獄の日々だった。何度徹夜したことやら…

「ところで、貂は元気か?何か変わったこととか…」
「あー元気だぜ、飯やら洗濯やらほとんど俺の下僕状態、ケケケ」
「……」

そういえば、貂は女の子だと壁から聞いているが…ワタシ同様、それを隠し続けているようだ。

「また一緒に城取りだな、壁のあんちゃん、名前」
「え?あぁ…だが前とは違って今回は城壁を力づくで突破せねばらんん、滎陽城の守備は固いと聞く、忍耐のいる戦いになりそうだ」

それに、一緒に戦うかどうかはまだわからなかった。第4歩兵軍は3万人で、壁はその中の千人を率いる千人将の1人なので、信の直属の将になるかどうかはこれから向かう亜水での軍編成によって決まる為だ。

「そっか、千人将つってもいっぱいいるんだな」
「されど千人将!これからは私に敬語を使うように、一歩兵が千人将に無礼があってはしめしがつかぬ」
「ふぁ~い」

なんとも軽い返事だ。思わず名前は吹き出した。

「…信のほうはどうなのだ、どんな伍を作った?」
「疲れ切った伍長とあとはド素人、周りから最弱の伍ってからかわれてる」
「なにそれ最弱って」

しかし、2人手練れがいれば伍は安定する。きっと、信であれば一人でも大丈夫だろう…壁と名前は同じことを考えていた。

「よし、亜水で作戦会議が待っている!先に行っているぞ信」
「じゃあね信、亜水でまた会おうね!」
「オウ、壁千人将に名前副官!」

第4歩兵軍が到着するよりも早く亜水に到着した壁は、将校の集まる陣幕へと消えていった。それぞれの副官は外で待機し、上官からの指示を待つこととなった。

「……君、ずっと気になっていたんだけど、何者なの?」
「そうそれ、俺もずーっと気になってた…君、俺の息子と同い年ぐらいだよな…子供が何でこんな戦場に?というかどうしてその年齢で副官に…」

周りの大人たちは名前の事を知らないので、興味津々に詰め寄ってきた。まぁ、彼らが疑問に思うのも仕方のない話だ。名前の年齢である14歳で千人将の副官になるなんて、とても稀なケースだからだ。

「父から頼まれまして…壁千人将の副官に就け、と…」

その、父は昌文君なんです。そう言うと、周りの男たちは案の定驚きの声をあげた。父が偉大すぎると、こういう時肩身の狭い思いをするんだよね。名前は内心苦笑する。
暫くして、伝令兵が慌てた様子で陣幕へと消えていったが、その直後、男たちのどよめきが聞こえてきたので、名前は嫌な予感を感じていた。まさか、敵が先に動いたのでは…と不安に思っていると、案の定、嫌な知らせを壁が運んできた。

「滎陽守備の全軍…15万が討って出てきたとか…笑えないね」
「あぁ…今回は、苛烈な戦いになるだろう」

十分に気を付けるんだぞ、名前。と壁に肩をぽんと叩かれる。

「蛇甘平原か…次の目的地は」
「そうだ、すぐに出陣できるよう支度はできているな」
「うん、大丈夫」

今回の戦の総大将は、麃公将軍だ。麃公将軍と言えば、長年最前線に居続けている武将で、父である昌文君も一目置いている人物の1人。どんな将軍なのか、この目で見れるのはとても楽しみだが、苛烈な戦をすることで有名なので、正直遠目で観られるならそれでいいかな、とも思っている。

「第4軍整列!」

壁と同じ千人将である縛虎申が力強い声で活を入れる。

「これより軍編成が始まる!伍は一列に整列せよ!何をぼけっとしている!さっさと並ばぬかクズ共!戦いは始まっているのだぞ!!」

正直、この人の副官じゃなくてよかったな、なんて思いつつも彼の怒りを真に受けてしまった百人将に憐れみの視線を向ける。壁が間に入ってくれたので彼は無事だったが、ここで改めて壁が昔よりも頼りになる上官に見えた。

「これより軍編成を始める!伍長以外その場に座れィ!」

ああ、ついに始まったか。本来であれば信たちと同じく歩兵であの列に並んでいるはずなのだが、父が父なのでそうもいかない。ちなみに、信たちはあの縛虎申千人将の部隊に配属されることとなった。だが、信なら大丈夫だろう。

「さて、ワタシたちも頑張らなくちゃね」

騎馬隊は、後からの出陣になる。大体は歩兵が全線を突破し、その隙間から奥に入り込む。千人将の副官である名前は壁と共に行動する訳だが、前方で戦うというよりは割と後方支援の仕事の方が多い。名前が得意とする武器は槍と棍の二刀流、前方でも後方でも活躍しやすい武器である為、どちらにも対応が利く、いわば便利屋みたいなものだ。
戦いが始まり、少しして魏軍は戦車を投入してきた。そのお蔭で歩兵がかなり死んでしまったようで、騎馬隊をいち早く投入したほうがいいのでは、と将軍に進言したが、結果は…

「待機じゃあ」

その一言で、もどかしい気持ちを抱えている壁たちは暫く待機する事となってしまった。このままでは歩兵が全滅してしまう、そんな不安が胸をよぎる。だが、あの麃公将軍がそういうのだから…きっとこの戦局に、何かを見出しているはず。

「壁、もしかしたら、もうすぐ出陣命令が下されるかも」
「えっ、わかるのか?」
「勘、だけど…流れが変わってきたような気がする」

討論をしていた壁と縛虎申の間に入り、名前は第4軍が戦っている向こう側を見つめて呟く。

「…戦車が、減ってる、頭のいい誰かが…動いてるのかも」
「…確かに、戦車が少し減ったような…頭のいい、誰かとは誰だ?」
「わからない、けれど……麃公将軍、もうすぐ動くんじゃないかな」

勘、だけどね。と笑う名前に壁は首を傾げていたが、縛虎申もそんな予感を感じていたのか、名前の瞳を見てほぅ、と感心したように呟いた。

「第4軍全騎馬隊に号令じゃァ!!!」

ほうらね、と肩をすくめて笑う名前に、今度こそ関心したように壁は驚きの声を上げる。

「さて、歩兵の皆が頑張った以上に頑張らなくちゃね!」

壁と共に、名前は馬を走らせた。敵を蹴散らしながら走っていると、騎馬した信と再会を果たす事ができた。なんでも、あの戦車を倒していたのは信だったようで、改めて彼の可能性を感じずにはいられない名前だった。

Published in天穹の果てに