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天穹の果てに/05

<秦の怪鳥現る>

激戦の最中、中央を突破する縛虎申率いる隊を発見し、名前は察する。

「…丘を狙うつもり?」
「そうだろうな、中央突破して丘を狙うつもりのようだ」

もう一人の千人将が答える。

「馬鹿な!半分も行かずに全滅するぞ!」

そう叫ぶのは壁。壁は優しい奴だから…と彼の背中を視界に入れつつも、目の前の敵をせん滅していく。と、その時。

「壁隊!錐行隊列で奥深くまで切り込め!縛虎申隊の進行を可能な限り援護しろ!!」

上官である壁の命令を聞き、名前は壁を守るようにして前に馬を走らせる。縛虎申隊は既にボロボロで、今の状態で丘へ上がるのは至難だ。勝つためなら―――ここは、力を振り絞らなくては。

「退がるな!騎馬隊が終結した今、戦いの大局はここにある!!敵討たずにして倒されるは許さぬぞ!!」

第一、第二部隊も動き出したようで、粉塵の影響で視界が悪い。あたりには血の匂いが立ち込めており、少しでもぼーっとするものならば命はないだろう。粉塵の中、名前は丘を見上げる。

「…壁、彼ら、もう、頂上付近にいる…!」
「何!?」
「俺も見たぜ、さっき黒つぶが中腹を抜けていくのが見えた」
「無謀だと思っていたが…戦にはああいう将が必要なのか…」

何かを思ったのか、感心したように呟く壁。

「壁は壁のままでいいと思うよ」
「どういう意味だ?」
「皆がああいう将だったら、周りの人、ついていくの大変だよ」
「ははは!確かに!」

しかし、いつも突進しているが今回は酷い…と千人将が呟く。彼曰く、縛虎申千人将は味方が大勢殺られた時程無茶をする性質の将らしい。なんだか、嫌な予感がするな…と馬を走らせながら名前は丘を再び見上げるが、すぐに視線を戻し、槍を棍を握る。
それからしばらくして、丘上の魏の旗が落ちた。それはつまり、縛虎申千人将が戦い、勝ったという事だ。

「尚鹿殿、どう思います?」
「どう、とは?」

襲い掛かってきた兵士にとどめを刺したところで、壁の幼馴染の千人将である尚鹿に声をかけた。ちなみに、彼は女たらしで有名だ。いい人ではあるのだが、節操のないところが逆に人間らしいというか…。

「……縛虎申千人将、御存命でしょうかね」
「ああそういう意味か、いや…分からない、ただ、ありえない話でもない」

何しろここは戦場だからな、と粉塵吹き荒れる空を見上げながら尚鹿が呟く。

「尚鹿様!赤伝者が来ます!」
「何っ、ったく、騒々しいな」

尚鹿宛に、赤伝者がやってきた。彼らは将軍の伝令を伝える役目を任されている兵士で、その名の通り赤い旗が目印だ。伝者が言うには、第一、二、四軍全軍に至急丘に登り、我らが陣とすべし…つまりこの敵兵に押されてて滅茶苦茶な戦況の中、そこを抜け出しあの急な坂道を大急ぎで駆けのぼり、陣を展開させろ、という意味だ。果たしてこの状況で丘のふもとへ近づくことができるのだろうか…ふと、ピリリと肌を刺す何かを感じ、名前はもう一つの丘を見上げる。

「―――ねぇ壁、あれって……」
「ん?なんだ……?え、どういう事だ…な、何故あの男が、こんなところに―――」

王騎将軍、その人が丘の上に立ち、戦場を見下ろしていた。あの将軍が出撃するなんて聞いてもいなかったが、今はともかく、王騎の動きから目を離せずにいる。

「―――名前!」
「うわっ、まじかよ!」

思わず声を荒げる。何しろ、魏の本陣……呉慶将軍が動き出した影響で、敵の騎馬隊も本気を出してきたためだ。戦車隊が秦兵たちに襲い掛かる中、名前は壁の元を離れ危うい部隊の元へ駈けだす。

「これでも喰らえ!」

敵兵の落とした槍を2本拾い、それを戦車の車輪めがけて投げる。1本は戦車本体に、そしてもう1本は車輪に刺さり、その衝撃で戦車は吹き飛んでいく。

「助かった!名前殿!」
「無事で何より、気を付けて、車輪を狙えば楽だから!」
「はい!」

尚鹿の部隊の100人将を助けた後、名前はある事に気が付いた。それは、向こう側から聞こえる地鳴り、そして…崖から駆け下りてくる軍馬の数々。その先頭には間違いなくあの王騎将軍がいて、彼らはあの丘へ向かおうとしていた。それにしても、あの垂直の崖を駆け下りてくるなんて、そんな事が出来る部隊は少ないだろう。

「王騎将軍と、その私兵軍…へぇ、すごいなぁ、強そー…」

棍を右手に持ち替え、それをくるくると回転させ棍に付着した血をはらい落とすと、壁たちの元へ馬を走らせた。

「戻ってきたか名前」
「俺の部下を助けてくれてありがとうな」
「いえいえ、どういたしまして、それよりも、王騎将軍のお蔭で丘に行きやすくなったね」

ほら、道ができてる。敵兵の首が次々と飛び散る血の道を指さす。後でお礼を言わなくちゃね、とふざけていると壁に小突かれてしまった。
王騎将軍が先に丘にたどり着き、それから少しして壁隊と尚鹿隊も丘上にたどり着いた。到着するなり、嫌な予感を的中させてしまった名前は小さくため息を漏らす。やっぱり、あの戦いで縛虎申千人将は討ち死になされたのか、と彼の亡骸に付着した血を綺麗にふき取ってやった。
しかし、彼のお蔭で魏副将宮元の丘に秦の旗があがり、秦軍は大いに勢いづいた。

「オヤァ?昌文君が言っていた童とはひょっとしてあなたのことですかァ?」
「!?」

声がした方向を振り向くと、馬上の王騎将軍から信が話しかけられているところだった。それをぼーっと眺めていると、突然背後で気配を感じ、勢いよく振り向くとそこには王騎将軍とそう変わらない大男が立っていた…おまけに、目力もすごく、じーっと見つめられていることに気が付き名前はそっと視線を外した。まるで負けた猫のようだ…。

「…えーっと、ワタシは壁副官の名前と申します」

この男は、恐らく王騎将軍副官の…騰だ。騰の噂は、父昌文君から聞いたことがある。なんでも、その実力は王騎将軍に並ぶほどだとか。

「名前か、殿から話は伺っている、昌文君のむすっ」
「わー!!騰殿!あちら、とても見晴らしのよい場所がございます!!!ご案内いたしますね!!」

どうしてその話を知っているのか、慌てたように騰の声を遮る不審な動きをみせた名前に周りの兵たちは首を傾げる。

「―――…先ほどは大声を上げてしまい、失礼いたしました…で、騰殿、どうしてその話をご存知で?」

人気の少ない場所に移動し、騰を見上げる。あまりの大男なので、首が痛くなりそうだ。

「我らの殿…王騎とお前の父昌文君は昔から色々とあって親交が深い」
「…そうでしたか、だから、王騎将軍もご存知なのですね…」

まだ、父から許されていないのでそれを公にしてはいけないのです、事情はよく分かりませんが。と語る名前に騰は相変わらず真ん丸の瞳で彼女を見つめ続けた。正直、あまりにもじっと見つめられているのでなんだかいたたまれない気持ちにもなってくる。

「女子の割には随分目立っていたぞ」
「…へ?」
「壁隊の中で周りを把握し、仲間たちを助けていただろう」
「ま、まぁ副官なので…それに、後方支援は慣れているから…・」
「よし、嫁に来い」
「―――は?」

今なんと?
突然のことに名前の頭は真っ白になる。ぐっと手を引っ張られ、気が付けば腰を抱かれていた。

「ご冗談を…」
「冗談ではない」

真剣なまなざしに、それが嘘ではないことを悟った。だが、こんな状況でそんな話をしてくるとは…空気を読まない…というより、唯我独尊過ぎるのではないだろうか…。名前は騰の胸を突っぱねて彼から離れようとするが、がっちりと腰を抱かれてしまい動けずにいた。体格差以前に、大人の、ましてや王騎の副官である騰の力をはねのける事などできるはずが無い。もう、絶望しかない。

「いやいや、その、わかってます?いま戦場なんですが、それにワタシの気持ちは無視ですか?」
「昌文君は私から話しておく」
「いやいやいや…人の話、聞いてます?」
「おやァ?騰、お熱いですねェ」
「殿、話は終わったようで」

と、その時信と会話を終えた王騎将軍がやってきた。その瞬間、騰の腕の力が緩んだのでその隙をみて名前は大慌てで騰の腕の中から脱出する。

「先ほど、貴女の上官は丘を下りて行きましたよォ」
「えぇ!?」

どうやら、騰に捕まっていた間に壁たちは丘を下り、動き出した麃公将軍の援護に向かったようだ。今からだと、部隊に合流するには既に遅く、後を追いかけるためには単独で丘を下りるか、他の隊と一緒に降りるかの二択だ。こんな時になんてことをしてくれたのだ、と名前は内心毒づく。

「ではワタシも向かいますので、御機嫌よう、王騎将軍、騰殿」

逃げるように去っていく名前の背中を、王騎は意味深な笑みを浮かべながら見つめていた。

「騰、貴方がまさかあのような子が好みだとは知りませんでしたよ、ココココ」
「あれはいい嫁になる、そう実感した次第です」
「昌文君の娘ですしねェ、それに武人の貴方の血が混じれば、有望な子供が生まれそうですよねェ、ココココ」

しかし、それだけではないでしょう?騰?そう呟く王騎に、騰は表情を変えず小さく頷く。

「あの女子…女子の割には、よく動けていましたからねェ、自分の弱点をよくわかっているようでしたから…だから後方に回っているのでしょう」

騰、あなた、あの子が欲しいんでしょゥ。
その問いに、騰は小さく笑った。

「はっ、殿は何でもお見通しですな」

先に手を付けておけば、きっかけを作っておけば。だから先ほど声をかけた。あの洞察力はあの千人将の副官にとどめておくのは勿体ない。例え、妻にならなかったとしても、あの者を手に入れれば役に立つだろう。騰は名前が消えた方向を眺めながら、意味深な発言をした。

「先に手を付けておきたかったのです」
「そこまで本気だとは…一目惚れってやつですねェ…ココココ」

少年、でいられるのはもう残り僅かだろう。近い将来、女子として生きる事となる、その時、彼女の元には必ず縁談の一つや二つ、いや、もっと来るのかもしれない。何しろ父親はあの昌文君だ。呂氏もその話を聞きつけ、動きを見せるかもしれない。そんな奴らに渡すぐらいならば、自分が貰っても別に問題はないだろう。騰は自信に満ちた笑みを浮かべた。

Published in天穹の果てに