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天穹の果てに/01

<旅立ちの日>

軽い気持ちで家を出たわけだが、まさかこんなことになろうとは…。きっと、家族は無事なはず…。黒い衣に白い布を顔の半分が隠れるようにして巻き付けている彼女の名は名前。幼いころから男の子と勘違いされる事は日常茶飯事で、男とも女とも言えぬ姿でよく出歩ている。そんな彼女が、家を出たのはつい先日のこと。元々は武人であった父ではあるが、今の大王様が即位してからというもの、文官になってしまった。色々と事情があったにせよ、武人である父は尊敬していたし、そんな父のような武人になりたいと思っている。文官には文官の戦があり、武人には武人の戦がある…そして今、父は文官の戦で行方不明となっている。それを知ったのは城戸村という場所まで来た頃、村人たちが王宮での噂話をしているのを耳にしたからだ。

「父上…」

どうか、御無事で。
家にいる母と姉も無事だろうか…。名前は空を見上げながら、不安げに呟く。

「おっと、悪い」
「いや…大丈夫」

前を見ていなかったせいか、同い年ぐらいの少年とぶつかってしまった。

「ワタシこそ、前をみていなかったから君とぶつかってしまったんだ、ごめんね」
「いいや、気にするなって…ん?そういやお前、この辺じゃ見ない顔だな…」

顔つっても、布で隠れてるからあんま見えないけどな、と言いながら爽快な笑みを浮かべる少年の名は、信。旅をしているんだ、と適当に誤魔化してしまったが、すんなりと受け入れてもらった。おそらく彼はとても純粋なのだろう…真っ直ぐな性格をしていそうだな、と考えながら彼の背中を見送った。

「嫌な予感がする」

昔から勘は良かった。嫌な事が起きそうだな、と感じると大抵嫌な事が起こる。そういえば、家を出るときもそうだった…不安を抱えながらも、どうしても会いたい人物がいたので無理やり家を出てきてしまった。正直、その人物と会えるのかすら分からないが、どうしてもその人をこの目で見てみたかった。父や母、勿論姉にだって家を出た事は言っていないので、あの事さえなければ今頃血眼で自分を探している頃だろう。

大王様は、ご無事だろうか。一度も会った事は無いが、父から話は色々と聞かされていた。なので、大王様が自分と同い年であることも、聡明であることも知っている。そんな大王様が、王弟の反乱で王宮から逃れる事となり、大王様一派は次々に投獄されているそうだ。その一派である父も当然のことながら―――。

「あれは…確か…」

夜、宿から外を眺めていると、見覚えのある少年が走ってくのを目にした。彼は昼間、名前にぶつかった少年だ。

「……こんな夜遅くに、一体どうしたのだろう…」

何やらとても慌てた様子で村の外に向かって走っていったが、一体どうしたというのだろうか。何となくだが、信の事が気になったので彼の後を追いかけることにした名前は、愛用の武器である棍と槍がくるまれた布を持ち、宿を後にした。

「―――何者だ」

村をでて暫くしてから、嫌な気配を感じ闇の向こう側へ、低く、殺気が滲む声を放つ。

「クックック…やはり見つかってしまったか、しかし、お前はここで死ぬ、昌文君の息子よ」

なんとなく、嫌な予感はしていた。大王様一派である父が行方不明なのだから、その家族が狙われるのは当然の事だ。この男に捕まれば、きっと父を誘き出す為に人質として利用され…拷問を受ける事は間違いない。

「失礼な奴は嫌いだ」

公で名前は息子、という括りになっている。女であることを知っているのはごく一部だけ…それは、昌文君の一人息子が病弱だった為に若くして亡くなり、家に男児がいなくなってしまった為だ。その当時は色々と複雑な事情があり、どうしても立場を強く見せなくてはならなかったので、元々中性的な容姿をしている名前が次男、という扱いになっている。それも、いずれかはバレてしまうだろ…とは思っていたが、14歳になった今でも女として思われる事は無く…。おまけに背は高く、同い年の少年たちと変わらぬ背の為、余計、女に見られる事は無かった。

刺客の返り血で染まった棍と槍を川で洗いながら、ぼやく。

「は~あ…」

初潮が来たらもう男子として過ごす事は難しいだろう。そう母から言われたのは8歳の頃。初潮がくると、身体つきも完全に女へと変わり、いくら男装していようとも周囲にはばれてしまう…そう言われたのが懐かしい。その4年後に初潮が来て、もう女としか見られないんだ…と思っていたが、母が思っていた事とは裏腹に、同い年の少年たちと同様背も伸び、体格もよくなった。それは日ごろ鍛錬しているからではあったが、まさかここまで背が伸び、声が低いままだとは思わなかった…。お蔭で、相変わらず息子として通っている名前ではあるが、もしかしてこのまま男として一人生きていくのではないだろうか…と最近は若干不安を抱えるようになった。

「姉上は、あの家の若君殿にホの字だし…ワタシには一切そういう事が無いのはこの見た目のせいなんだろうか…」

…まぁ、こんな事、今悩んでも仕方のないこと。今は彼を追いかける事が優先事項だ。別に追いかけて何になるのか、までは分からないが、なんとなく、何となく自分は彼を追わなければならない、という予感がしただけだ。

「…うわ」

信を追いかけ続け、真夜中、名前はとある村にたどり着いた。村にたどり着くなり、名前は村に転がる死体を見つけ、嫌な予感が的中したことを悟った。この殺し方は、刺客だ…間違いない。

「……なんだ?」

少し離れた場所から、ガチャガチャと青銅のぶつかる音が聞こえ、名前はそっと物陰に隠れる。隠れていると、向こう側で火が放たれたのか、木の焼ける独特の匂いを感じた。この村で何かが起きた…それは間違いないだろう。信はこの村に来て、何かが起きた。刺客が狙う人物がこの村にいたとしたら……。

「父上、だろうか…!」

父がどうなっているのか、今は噂でしか知らないので、本当かどうかは不明だ。だが、確かめるだけの価値はある。父が生きていれば、その部下たちも恐らく一緒のはずだ……。
森の中に走り去っていく軍人たちを見送ると、名前もそっとその後を追う事にした。

森を走り続け、気が付けば朝になっていた。自分がもうどこを走っているのかもわからず…つまりは、追いかけていた人物を見失ってしまった、という事だ。それでも、名前は足を止めなかった。それは、なんとなくこちらの方向に進めば、何かがあるような予感がしたからだ。

「お腹空いた…」

途中、小川が見えたのでそこで水分補給と、軽く身体を清め、手短に食事を済ませた。干した肉や野菜・木の実など携帯食料として所持しているが、今後何があるか分からないので食料を節約するため、名前は木の皮を剥き、それを水で洗い頬張った。咀嚼すれば、空腹感を誤魔化す事が出来るだろう。
筒に小川の水を汲み、それを腰からぶら下げると名前は再び駆け出す。あまりゆっくりしていると、また夜になってしまう。夜は野生の獣が襲い掛かってくる最も危険な時間なので、夜は無暗に動かないほうが安全だ。

どれ程走り続けただろうか、流石の名前もクタクタでこれ以上走れる余裕は無かった。今獣や刺客に襲われたら…と考えるとゾッとしてしまう。と、その時、人の声が微かに聞こえてきた…声のする方向は、この竹林の先にある。竹林をゆっくりと進み、そして棍を抜く。

「何者だお前!!」
「―――君こそッ…!―――ん?確か、君、信、だっけ?」
「あぁ!?お前、あん時の…!名前っつってたよな!?」

竹林を抜けるなり、何者かが襲い掛かってきた。棍で防御したとき、その人物を見て目を丸くさせる。こんなところで信に会えるとは思ってもいなかったからだ。

「どうしてお前がここにいるんだ?もしかして俺たちを追ってきた…刺客なのか!?」
「いや、違う、君たちの目的は知らないけれども、ワタシは人を探していて……ん?ほかに誰かいるのかい?」
「―――貂、それに政、こいつは多分大丈夫だ」

テン、に…せい?とは誰の事だろうか。すると奥にある建物から同い年ぐらいの少年と少し年下と思われる少年が現れた。

「本当に大丈夫なのか?」
「あぁ、こいつは旅してるだけだから、村で会ったんだ…人を探してるって言ってたよな?誰探してるんだ?」

ちっちゃい少年が恐る恐る近づいてきた。

「…事情は説明できないんだが、父を探している」
「親父?どうしたんだ?」
「馬鹿か信、今さっき事情は説明できないって、言ってただろ」
「あ、そっか、まぁいいや」

親父、見つかるといいな。と笑う信の横で呆れたようにため息を吐く貂と呼ばれた少年。ふと、奥にいた少年と目が合う。あの衣服…どう考えても高貴な身分か、または豪商の息子か…名前は暫く考え込んだ。まさか、この少年こそが大王様とはこの時は知らず、名前はとりあえず人の好さそうな笑みを浮かべて自己紹介をした。

「始めましての方もいるから、自己紹介しておくね、ワタシの名前は名前」
「よろしく、貂だ」
「―――政だ」
「こいつ、秦の大王なんだってよ」

信の言葉に、名前は思わず驚愕の声を上げてしまう。

「馬鹿か信!こいつが刺客だったらどうするんだよ!?」
「ぜってぇ大丈夫だって言ってるだろ」

貂と信の態度からして……きっと、本当の事なんだろう。口をあんぐりと空けていたが、彼が大王様とわかると名前は慌てて膝をつき、彼に敬礼する。

「―――大王様とは知らず、失礼をいたしました、どうかお赦しください」
「…いい、別に気にするな、お前は父に言われ、ここに来たのか」
「い、いえ……え、その、ワタシをご存知で…?」
「…昌文君から話は伺っている―――」

どうやら、大王様は昌文君から名前のはなしを聞いていたようで、なまえを聞いてすぐに察したそうだ。貂と信はその事実に少し驚いていたが、名前の腹が盛大に鳴ったことを合図として、とりあえず食事を摂ることになった。

「―――こら信!もっと落ち着いて食えよ!!」
「いでっ」

あまりにも豪快に食べる信の姿を見て、貂が肘で彼をつつく。

「すごい食欲だね…」
「それお前も該当するからな!?」
「え?あはは…あまりにもおいしくて」

ちなみに、名前はいくら食べても太らない体質で、すぐに腹が減るので出かける際は必ず食料を携帯している。我慢は出来るが、こういった食べられる時はものすごく食べる。おそらく、そのお蔭でこの背なのだろうが、腹が減るのは仕方のない事だ。

「大王様、父とは…昌文君とはここで落ち合う予定なのですね?」
「そうだ」
「…無事、でしょうか」
「そう信じている」

そう、今は信じるしかないのだ。父、昌文君の無事を―――…。

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