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天穹の果てに/02

<再会>

朝になり、名前は薬草を探すために再び森を歩いていた。昨夜、信から事情は聞いた。信の親友である漂という少年が大王様の身代わりとなり、刺客に殺されたこと…そして、信が親友から大王様の件を託され、黒碑村へたどり着き、大王様と出会った事。ちなみに貂は黒碑村に住んでいたらしいが、祖父が死んでからは1人で暮らしていたそうだ。何となく、逞しい少年達だなとは思っていたが、道理で。2人の話を聞いて納得した。

「む…鎧がぶつかる音……」

薬草を集めていると、林から少し離れた場所からザ、ザと草をかき分ける音とガチャリと青銅のぶつかる音が聞こえてきた。名前はそっと植物の中に隠れ、息を潜める。

「―――だ」
「…違いない」

複数の男たちの声が聞こえてきた…と、その時、悲鳴が林にこだまする。

「ぐうぁああッ…!!貴様ら…!!」
「死ねい!」

戦いが始まったのは言うまでもなく、そのまま名前はしばらく身を潜めていた。静かになった頃、そっと立ち上がり、物音を立てぬよう気に上る。向こう側の様子をそっと眺めると、男たちの姿は既に無く、あるのは亡骸だけだった。

「……まさか、大王様を狙って…」

早く、父と合流しなくては。薬草を詰め込んだ袋の口をしっかりと縛り、名前は駆け出す。

「―――な、刺客!?」
「おお、名前良いところに…!」

戻ると、変わった風貌の男が一人、信の前に立っていた。丁度男の背に立っていた名前は、すぐに状況を判断し、棍を振りかざす。

「さようなら!」
「―――なっ…」

刺客の男が慌てて逃げる動作をしたが、もう遅かった。槍と棍の二刀流である名前にとって、この距離で絶対に外すことはなく。棍で男の頭を打ち付け脳震盪を起こさせ、その隙に左手に握られている槍を深く男の胸めがけて突き刺す。心臓は外してしまったが、致命傷を負った刺客はそのまま呻き声を上げ、地面に伏した。

「…お前って案外強いんだな…」
「まぁ、こう見えても、元々武人の家系だからね…毎日の鍛錬の賜物、かな?」
「へぇ…今度俺の相手になってくれよ――――うおッ」

こんなにも傷だらけなのだから、止血させてね、と名前は転げそうになる信の腕を掴み、彼を近くの岩に座らせた。と、その時背後から誰かがやってくる気配を感じ、振り向く。

「―――な、ち、父上…!」
「―――大王様……それに…名前、な、何故お前がここに!?ともかく…後で話は聞く、今はそれより…」

現れたのは、行方不明であった父、昌文君とその部下たちだった。部下の1人で、壁という昌文君の副官がいて、彼には昔から色々と世話になっている。ちなみに、その彼も名前が女であることは知らされていない。壁も名前の姿を確認するなり目を丸くさせ驚いていたが、すぐに安堵の笑みを浮かべる。

「おい…漂は、死んだぞ」

父に向って凄む信に、名前も壁もただ黙ってそれを見つめていた。親友を亡くしたのだから……彼が怒っても仕方のない事だろう。彼の親友を王宮へ連れて行き、大王様の身代わりとしたのは我が父なのだから…。王弟の反乱さえなければ、と悲しさと悔しさでギリリと奥歯をかみしめる。

「―――脱出の手立ては万全と言っておきながら、この有様…すべての責任はこの愚臣に依るところであります」

すると、父は信の横を通り過ぎ、大王様のいる元で膝を折り、頭を下げた。今回の件、指揮をしていた父に落ち度があったのは確かだ、だが、それ以上に王弟の周りにいる人間が手ごわかった…という事だろう。昌文君は震える声で続けた。

「仰せとあらば、今すぐこの岩で頭を砕いて果てまする…しかし……しかしまずは何よりも―――」

よくぞ、ご無事で―――。

あの父が、涙を、心の底から涙を流している。嗚咽を漏らしている父の背中を見つめ、名前は胸がぎゅっと苦しくなるのを感じた。

「お前もな」

大王様は父を咎める訳でもなく、優しく、嗚咽を漏らす父の肩に手を置き、労わってくれた。その姿に、名前も目の奥が熱くなるのを感じ、涙を零した。

「―――父上、よくぞ、よくぞご無事で…!」
「名前、お前が何故ここいるのかはわからぬが、しかし、お前も無事で何よりだ…あとは、母と姉が無事であることを、祈ろう…」
「はい、父上……」

父の無事を知り、情けないことに名前は肩の力が抜けてしまったのかその場にへたり、と座り込んでしまった。そんな名前の肩を優しく抱きかかえ、昌文君は再び涙を零す。
貂が疲弊しきった昌文君の部下たちに食料を配っている頃、大王様と昌文君は今回の脱出劇が何故失敗したのかを話し合っていた。少し離れた場所で傷ついた者達の手当てをしながら、静かに聞き耳を立てる。

「城外までの脱出は首尾よく進んだのですが、外で思わぬ敵の待ち伏せにあいました」
「―――誰だ」
「王騎将軍です」

その名に、ひゅっと息を飲む。王騎将軍と言えば、知らない人間はいない程有名な武将の名だ。秦の怪鳥と謳われているその男に狙われたら最後―――…。そんな相手と、父は戦い、逃げ延びたのか。改めて父の背中の大きさを感じる。

「激しい乱戦の中、わたしと王騎の一騎打ちは続いておりましたが、不覚にも王騎の一撃を受け、崖から転落してしまいました…下に川があり、なんとか助かりましたが、私はそこで戦場を離脱してしまったのです」
「―――ちょっと待てよ、漂はそのあとどうなったんだよ!?」

すると、信は話に割って入り、声を荒げた。

「殿、あの少年は?」
「…漂の友だ、名を信という」
「…彼が」

昌文君が壁に信と漂の関係を簡単に説明する。

「大王様、私は最後まで漂殿のそばにおりました、続きは私が語りたく思いますが、その前に…」

と、壁が信を傍に呼び、漂達に何が起こったのかを語り始めた。壁の話によると、漂は丘上の敵めがけて単騎がけをし、そのお蔭で敵の追撃が弱まったそうだ。そして、漂は…亡くなった。無念だ、と苦し気な声をあげる壁に、信は黙ったままだった。それから、大王様と昌文君が何やら今後の事を話している間、信と貂、そして名前は少し離れた場所からそれを眺めていた。

「完全に蚊帳の外だ、オレたちって何だろうな」
「…」
「大人の話だからね…こればかりは…」
「―――そうか」
「お、どうしたんだ信?」

突然立ち上がった信が向かった先は、大王様の元。そして、信は大王様の名を呼ぶ。

「おい政、聞きたいことがある」

ツッコミを入れるべきか悩んでいたが、公にその呼び方って…。名前は苦笑する。それから、信の話を聞いて少し彼に感心してしまった。どうしたら下僕の身である彼が将軍になれるのか…それは、大王様が無事王宮に戻る事が出来たら、土地を与え、下僕という身分を引き剥がしてくれるという事だった。そうすれば、徴兵にも応じることができ、戦場で武功を上げられれば…という訳だ。彼は前向きだなぁ、と出会ったばかりとは言え、純粋に信を尊敬した。

「王騎との一戦で我らは今、壊滅状態で軍と呼べるほどの力を残しておりません、王宮に謀反人共をのさばらせておくことはくやまれますが、ここは我慢して魏遠征中の呂丞相の帰国を待つが上策と思います」

それは、呂丞相…呂不韋がこちら側であれば、の話。なんだかとても嫌な予感がしてならない。壁の話を聞き、功績を呂不韋に奪われると喚き散らす信を静めたのは、先ほどから姿を消していた貂だった。

「政が殺されるまで、呂軍は戻って来ないって本当なのか!?」
「!?」
「嫌な予感的中…」

つまりは、大王様一派は更に追い込まれた状況、という訳だ。呂氏は大王様が殺され、王弟が王に即位する時を待っている…そのとき、呂氏は王弟と竭氏の非道を高らかに叫び、堂々と王都咸陽に攻め入り…戦場となった咸陽では王族が戦火に巻き込まれて命を落とし、王族が全滅したそのときに、国民は次の王を誰に押し上げるのか……それは明白だ、丞相、呂不韋が王になる。
そう語る大王様の声に、全員が騒然となった。

「何だよそりゃ!何なんだよそりゃあ、ふざけんなよ!!」

呂氏は大王様の後ろ盾ではあったが、実質政敵とみなして間違いないだろう。大王様の味方はとても少ない…現時点では。王弟の反乱を抑え込みさえすれば、もっと味方を増やせるだろうが、呂不韋の権力はとても強大なものだ。それを乗り越えるのには、まだ時間が要する―――と、そこで名前はハッとする。
大王様は、ずっと先の未来を考えて動かれているのだ…と。

竭氏は王弟を無理やり王位につかせるつもりなので、一日も早く王都に戻らなければならなかった。呂竭の戦いは国を二分するほど大きなものとなる為、内戦を起こさせる前に大王様は玉座につき、王都を正常に戻す必要がある為だ。

「ふ、不可能です、大王…」
「我らで王都を奪還するには、軍勢に頼らねばなりません、しかし今この秦で呂竭に与せず我らを助ける軍勢など、ありはしません…」

大王様のお味方になってくれる可能性のある勢力……名前は、一つだけ、思い当たる節があった。それは、名前が家を出た理由で在り、会いたい人物がいる―――。

「山の王……楊 端和様に、掛け合ってみてはどうですか?」

名前の声に、昌文君は目をかっと見開いた。そして、大王様も同じことを考えていたようで、名前の瞳を見つめ、静かに頷いた。

「―――俺もそれを考えていたところだ、しかし、名前、お前は山の王の名を何故知っているんだ」
「えっとですね、実は…その、説明すると長くなってしまうので端折りますが、昔家出をしたときに山の民に命を救われまして…保護してもらったのです」
「何、あの時の話か!?そんな話一度も聞いたことがないぞ!?どういう事だ名前!」
「ち、父上…実は、楊 端和様から、我らの事は他言無用だ…と言われておりまして…命を助けて頂いたので、今までお約束をお守りしていたのです…」

ですが、状況も状況ですので、語ったまでです。そう呟いた名前に父昌文君は拳を震わせ、後で説教だ、と若干怒りの滲んだ視線を向けられ思わずぷい、と視線を大王様へと向ける。

「…あれからもう5年は経ちましたから、もうお忘れになられているかもしれません」
「だが、一応顔見知りであるお前がいると助かる」
「―――ワタシなんかがお役に立てるなんて、光栄です」

父の怒りの眼差しを横から受けながら、話は続いた。
その後、クドクドと父から説教を受けた名前の頭には父からの怒りの鉄槌が与えられたのか、朝頭をさすりながら朝食の席に現れたのは言うまでもない。

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