<山の民>
山の王、楊 端和様に会うべく一行は山をさらに進んだ。しかし、けが人が多かった為中々進まず、仕方なくけが人たちは避暑地に戻ることとなった。残された者達で山道をさらに進み昼過ぎ頃、ついに山の王が統べる領域に到着したのか、気が付いたら山の民に囲まれてしまっていた。山の民は大王様のみ連れて行ったが、昌文君に頼まれ、信と貂と壁と共に名前はすぐさま大王様を追いかけることとなった。
漂のことはすまなかった、許せ―――。別れ間際に、父が呟いたその言葉が頭の中で響く。
「どうやってこの4人で政を助けるんだ?」
夜になり、夜道の移動は危険だと判断した壁が3人の足を止め、比較的背の高い植物が生い茂っている場所を探し、そこで休憩する事となった。
木の幹に腰を下ろし、携帯食料である木の実を口にしながら話を続ける。
「…正直自信はないけれども、楊 端和様にかけあってみる、あと、タジフっていう人とも知り合いなんだ、とても強くて…色々と事情があって暫く家出をしていたんだけど、その間、修行の相手になってくれたんだ」
そりゃあもう、毎日ぼこぼこにされてたっけ…。そう語る名前に壁は溜息を吐いた。
「…あの時は、珍しく殿が慌てていらっしゃったので何事かと思えば、名前の家でだと聞いて…驚かされたものだよ」
「あはは、そういえば壁もワタシを探すのに必死だったよね」
「笑いごとじゃないぞ!本当に大変だったんだからな!?何しろ何の手がかりも無く…政敵の仕業かと思ったんだぞ…」
「ごめんごめん、でも今回は家出した理由はあの時とは違うよ、楊 端和様に、会いたかったんだ」
「…へ?そうだったのか?」
「うん、楊 端和様にね、こんなに成長しましたよーって、挨拶をしたくて…でもまさかこの時期に竭氏が事を起こすとは思ってもいなかったから…」
山にいた期間は1カ月と少しだったが、そのお蔭で今の自分があると言っても過言ではないだろう。それぐらい、お世話になった彼女に会うべく飛び出した…事情を説明できなかったのは仕方のない事だ。名前の話を黙って聞いていた政が突然片手を上げた、その時。
「―――嫌な予感その2が的中…」
「おいなんだよその2って…」
「周り見てみなよ、信」
「へ…?……!?」
見事に、山の民に囲まれてしまった4人はコテンパンにやられ、紐で繋がれてしまった。一番最後を歩いている名前は、ある事に気が付いた。先頭を歩いているのは……多分、タジフだろう。こちらは顔半分を覆った状態なので、名前がいる事に気が付いていない可能性がある…もしくは、忘れてしまったかのどちらかだ。山の王が統べるここに来たのは5年ぶりだ…あれから色々と建造物が増えており、一行はその仰々しさに唖然となった。
「―――ははは、閉じ込められちゃったね」
「笑いごとじゃねぇぞ!」
牢に投げ込まれた4人は夜までそこで過ごす事となった。夜、突如山の民に奇襲されてしまい一時はどうなることかと思ったが、タジフが助けてくれたお蔭でなんとか一命を取留めることができた。
「タジフ、お願い、楊 端和様に謁見させて…!大王様を救いたいの…!」
「…」
覚えてる?ワタシ、名前だよ、5年前、助けてもらった…。
立ち去ろうとするタジフに話しかけるが、彼は平地の言葉を話せない。平地の言葉を話せる山の民が名前の言葉を伝えてくれたが、タジフの答えは期待の持てるものではなかった。
「明日オマエタチハ我々ノ王に裁カレ、殺サレテシマウコトガ残念ダ、ト言ッテイル」
「…」
「明日、山の王にッ…」
「政は?」
「秦王モダ」
そして翌朝、牢から出され連行されようとしたとき、名前だけはなぜか彼らとは別々にされてしまった。案内されたのは、懐かしいあの部屋…5年前、ここでよくケガの手当てをしていたっけ…。懐かしさに胸からこみ上げてくるものがあり、名前は当時とそのままの景色を眺めながら、小さく笑みを浮かべる。
「懐かしい…タジフ、ワタシの事ボコボコにしてたけど、修行が終わった後はいつも傷の手当してくれてたっけ…ちょっと包帯の巻き方下手だったけど……ねぇ、どうしてここに連れてきたの?」
「…セメテモノ情ケダ、王ハ、オマエのコトヲ気ニイッテイル、殺スニハ惜シイ」
「…それは嬉しいかも、でも……大王様を、壁たちを助けなくちゃ…」
「―――時ヲマテ、モシカシタラ、面白イ事ニナルカモシレナイカラナ」
「面白い事に…?」
ともかく、お前はここで待て。そう言われ、逆らうこともできず名前はもどかしい気持ちを胸の中に押し込め、ただ時を待った。暫くして、大王様が無事楊 端和様と同盟を組めたこと、壁たちが無事であることを知らされ安堵したものだ。
「端和様…!ずっと、この5年間……お会いする日を夢に見ておりました…!」
「名前よ、大きくなったな…まるで男にしか見えぬ」
「―――端和様、その件は秘密で…」
「…そうだったな」
楊 端和様と無事再会を果たし、5年前の礼を述べる事ができた。彼女共あえ、大王様と無事同盟を組めた…ここまでは順調だ。問題は、これからの事。避暑地に戻った一行は、ケガを負って待機していた部隊と離れ離れになっていた部隊と合流し、翌朝共に下山した。その光景にはとても迫力があり、不思議と負ける気がしなかった。
避暑地にて、作戦は既に話し合っている。城壁をまず超える策が必要となる為、山の民として盟を復活を申し出てきたという設定で乗り込むこととなった。そうしなければ、咸陽にいる8万の軍を誤魔化す事は出来ないからだ。
「っぷ…信やめてよ笑わせないでってば」
「うるせぇよ!」
山の民に扮するため、それぞれお面を作った訳だが、どういう訳か信の作ったお面は笑いを引き起こさせる傑作となってしまった。
「ハハハ、まァたウケた、もう三日はいけるな信!」
「こんな時に笑わせるんじゃない信ッ」
「……」
こんな時に笑えるとは思ってもいなかった。正直、こういった状況は初めてなので緊張をしていた分、緊張の糸を解いてくれたので信には感謝をしている。
山を下り、咸陽の目の前に到着した。山の民に扮している為、藁の上着が肌にちくちくと当たって少し痒かったが、この痒みも感じなくなるほどの戦いがこれから待ち受けているのだろう。
無事門をくぐり、それぞれ戦いの準備が整う。
「楊 端和、共に戦ってくれることを感謝する」
「感謝の言葉は、勝利の後に言うものだ」
はぁああ~~~~…カッコイイ楊 端和様。と、内心ウットリしていたが、すぐ近くで彼女に熱い視線を向ける人物がいる事に気が付いた。…壁だ。
「楊 端和様は美人だからね、壁ってば、わかりやすいなぁ」
「なっ、名前、大人をからかうもんじゃない!」
「あはは、応援してるよ」
多分無理だろうと思うけれども、とは口にしなかったが。
そして、遂に戦は始まった。朱亀の紋は衝車か投石でしか破壊できない程頑丈なため、そこで何人かが犠牲になってしまった…が、なんと信がその壁を乗り越え門を突破してくれた。あの脚力、きっと彼は将来大物になるだろう、と名前は確かな予感を感じた。
「バジオウ、ここから右を別動隊とする、わたしについてきてくれ」
「ワカッタ」
大王様が敵を引き付けている間、本殿にいる王弟を討つ、という算段だ。
「壁、ワタシは大王様の元にいる」
「―――頼んだぞ…!」
「任せて!」
信たちと別れ、名前は敵の中にいる大王様の元へ駈ける。勿論、そこには父もいて…。
「名前よ!その腕、存分に振るいなさい!」
「はい、父上!」
「何、昌文君の息子だとッ」
肆氏の前に立ち向かうと、彼を守るようにして兵士が名前に向かって襲い掛かる。
「はぁッ!」
棍を振りかざし、敵の隙を作ると左手に握っていた槍を勢いよく突く。すると、串刺しになった兵士二人が呻き声を上げて倒れた。
「あの者、厄介な戦い方をする…気を付けよ!」
「そりゃどーも」
棍と槍の二刀流は、独自で編み出したものだ。だが、それはまだ仕上がっている状態ではない。もっと、もっと極めなくては…。母と、姉を助けるためにも、戦わなくては。名前の口元を覆っている布が、返り血で赤く染め上げられる。大王様に近づく敵は片っ端から討っているが、倒せど倒せど敵は現れる。父の援護をしつつ、時々状況を見て前衛に出る、の繰り返しだ。強弩兵は厄介だったが、山の民はやはり強く、相手側も苦戦している様子だ。
「大王、御覚悟!」
魏興が名前の攻撃範囲網を抜け出し、大王様の前に立ちはだかる。魏興によって振り下ろされた剣を、勢いよくはじき返した昌文君は、強い口調で言い放った。
「馬上にふんぞり返っておる割には、随分と軽い剣だな」
ああ痺れる!父上カッコイイ!一度でいいからそんな台詞言ってみたい!
名前は敵兵をなぎ倒しながら、父の言葉を聞いてより一層力が湧いてくるのを感じた。父の一騎打ちを邪魔してはならないだろう…名前は目の前の敵をせん滅することに徹した。父が安心して、一騎打ちができるように。
「ンフフフフ…相変わらず渋いですねぇ、昌文君は」
それを上から眺めている人物がいるとは知らず、名前たちは戦い続ける。それを見下ろしながら、唇が直腸的な男は言葉を続けた。
「しかし一か所、見物できないことが残念ですねぇ…騰はいますか?」
「はっ、お呼びでしょうか」
彼が読んだのは、副官の騰。彼もまた特徴的な外見をしてり、ぱっちりとした瞳が素敵な男だ。そして、唇が特徴的な男こそ、あの王騎将軍である。
「あなた、右龍へ行って様子を見てらっしゃい」
「オーイ誰か右龍に…」
「あなたに言っていますよ騰」
「しかしあそこは左慈が守っているはず、既に別動隊は全滅しているのでは」
「…右龍を抜けたら本殿まで阻むものはありません、肆氏は必勝を期して左慈を配置したのでしょうねぇ、しかしそれを承知で王都昌文君は別動隊を送ったのですよ」
「左慈を抜く自信があると?」
「さぁ…自身があるのかどうかはさておき、右龍では二人が最も信頼を寄せている者が戦っていることは間違いありませんねぇ…」
ところで…と王騎は下を指さす。
「あの若者…もしかして昌文君の子供、かしらねぇ」
「はっ、名を名前と言い…年は14だと聞いております」
「へぇ、不思議な戦い方をするじゃない、ココココ…」
「あの若造が気になるので?」
「ンフフフフ…実は昌文君から聞いているんですよ、彼女の事をね」
「―――女子、なのですか」
王騎は、彼から直接この話を聞いていた。それは、何かあった時家族を守ってほしい…と頼まれているからだ。その家族は、彼の妻と、長女である名前の姉、そして名前の事…。そろそろ女であることを公にしても問題がなさそうではあるが、ああも勇ましく戦う姿は少年にしか見えなかった。
「屋敷にいないとは思っていましたが、まさか父親の傍にいたとは…ココココ」
実は、昌文君が行方不明になった頃、王騎は偽物の首を持ち帰り、それを昌文君の首とした。だから、彼は今日まで死んでいたことになっていた、という訳だ。彼の領地の全ては現在王騎が所持しており、実質昌文君の家族は彼に守られている。
地上では、大王様の激で大王様一派が盛り返しつつあった。だが、それもつかの間。
「―――殿、名前殿のご様子が…」
「―――あいつめ、意識を飛ばしておる」
ここまで追いつめられたのは、生まれて初めてかもしれない。まだまだ、自分は未熟だったと思い知らされた……しかし、落ち込んでいる余裕は名前には無かった。戦い、返り血を浴び続け、次第に感覚もおかしくなってきた頃、名前は完全に意識を手放した。もはや、無意識のうちに戦っている、そんな状況に陥ってしまった。
「おや、面白い事になりましたねぇ…」
あの娘、ついに意識を飛ばしたようですね。ああなっては、もはや…。
王弟が本殿から飛び出してきた頃、王騎も動いた。そして、名前が意識を飛ばしている間に、戦いの決着はついた…なんと、あの王騎が魏興を一瞬で討ってしまったのもあるが、竭氏が討たれ、王弟一派は成すすべもなく降参することとなった。それを決定付かせたのは、勿論大王様本人。
事の経緯を、名前は病室で横になりながら壁に教えてもらった。ちなみに壁も負傷してしまったようで、胸から腹にかけて包帯がグルグルと巻かれている。
「…はぁ…頭が酷く痛い…」
「そりゃそうだろうな、何しろ、王騎将軍の手刀を食らって倒れたらしいじゃないか」
「ほんと酷いよな…」
「だが、そうでもしなければお前を止められなかった、あの時はすごかったと殿から話を伺っている」
意識を飛ばした状態の名前はとても危険だった。戦いが終わったというのに、兵士に襲い掛かろうとしていたので王騎将軍が手刀を食らわせ、その場を収めたそうだ。
「はぁ…あんなに頑張ったのにこんな終わり方って…」
「まあまあ、殿もお前の事を褒めていたではないか、自慢の息子だと仰っていたぞ」
「自慢の息子、ねぇ…」
いつまで男でいさせるつもりなんだろうか、我が父君は。
そんな名前の心情など知らず、病室には壁の笑い声がこだました。