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天穹の果てに/07

<大王様危機一髪>

緊迫した空気の中、慌てた様子の父を見上げながら名前はある事を考えていた。
この問題、中々解決しそうにないな、と。

「報告!張満様すでに絶命!」
「京伯様、趙丸様、同じく絶命!!」
「斉弓殿、斉虎殿の屋敷に守備兵を送れ!!念のため黄御三家にも注意を促せ!」
「ハッ!」

真夜中、事件は起こった。大王様一派の仲間たちが次々に何者かによって殺されているらしく、父昌文君もその知らせを聞き飛び起きた、という訳だ。真夜中だというのに、屋敷では昌文君の部下たちが忙しなく動き回っている。

「申し訳ありません!今到着いたしました!」
「壁、無事だったか!」

部下たちに指示を出していた時、丁度壁が平服姿で現れた。彼もその知らせを耳にし、慌ててやってきたようだ。その証拠に、いつもより髪が若干乱れている。

「たまたま今日は騎馬の一隊と行動を共にしておりました故、手が出せなかったと見えます―――それより、状況はっ」

一体何が起こっているのです、殿。そう叫ぶ壁に昌文君は静かに現状を述べた。政界での昌文君の協力者ばかりが同時に11人も刺客の手におちた…しかも刺客の数が多く、その族も様々だったが報告があがっただけでも号馬と堅仙、そして朱凶が含まれるという。朱凶と言えば、竭氏残党の仕業の可能性もあったが、まだ詳細は分からない。だが、言えることは何者かが大々的に此方側を粛清しようとしている事。念のために、と名前は寝間着から着替え、いつでも出動できるよう愛用の武器も背負っている。

結局眠る事などできず、朝を迎えた。一夜にして15人もの同志を失い、昌文君は頭を抱える。

「竭氏の反乱鎮圧で王都内は安静化していたと思い込んでいたが…油断した!」

これから政界の極みを目指す父にとって、あまりにも大きな痛手であることは間違いない。これを望む男……ふと、名前は嫌な予感を感じた。

「壁…その…もしかしてだよ―――」

と、その時、壁は父に呼ばれ慌てたように部屋を去ってしまった。
呂氏なのでは…と言葉を続けようとしたのだが、言うタイミングを逃してしまった。

「ま、確証はないから無暗に口にしないほうが無難、か」

2人が去っていった長い廊下を眺めながら、名前は呟く。
夜になり、流石に徹夜の疲れが出たのか屋敷で仮眠をとっていると、突然召使いに叩き起こされてしまった。

「え、肆氏が来たって?」
「はい、只今、壁様とお話し中でして…」

召使いの話によると、突然屋敷の正門から肆氏が現れたそうだ。

「もー、眠たいよォ…」

いいよなぁ、こういう時、姉上や母上は万全な護衛に囲まれて熟睡できるのだから。一応武人である名前には、このような状況で熟睡する暇などない。

「名前、支度せい!」
「ふぁい…父上…」

あくびをしていると、壁に小突かれてしまった。

「大王様が危険なのだ、急げ」
「あー…そうだったんだ…え!?」

呂氏、やっぱりあの男だったか。大王様の宿敵と言えば、間違いなくあの男。名前は大急ぎで着替え、馬に跨った。

「信が王宮に!?一体どういう事だ」
「俺の息のかかった者は全員要注意人物にあげられ王宮に潜り込ませるのは不可能だ」
「…しかし、何故貴様が」

今回、こうなると想定していた肆氏は一足先に信へ使いをやり、彼を王宮へ向かわせたようだ。

「全く腹立たしいガキだ、聞けば王宮の情勢には無関係なただの下僕の少年というではないか…だが、敗れた側だからこそ、身にしてみわかることがある」

信ほど敵にまわして厄介なものはいない、そう呟く肆氏の背中を静かに見つめる。

「任せてください」
「どうした唐突に…」

敵は…もしかしたら、念には念を…という意味で―――。

「大王様の元へは信がいるのですから大丈夫でしょう、それに父上たちもいる……ワタシが危惧しているのは、父上たちが挟み込まれて命を奪われる、という事です」

特に父上は…と、名前は言葉を続けた。

「大王様のお命よりも、まず先に消しておきたい人物…なのでしょうから」
「…ほう、頭の回る息子を持ったな」

感心したように肆氏が呟く。

「もしかしたら……裏の裏をかいて、父上のお命を狙っているのかも」
「―――確かに、言われてみれば」

ですが、父上はひとまず大王様の元へ。そう言い残すと、名前は違う道に入り姿を消した。
名前の危惧した通り、20人ほどの刺客が城の裏門周辺に潜んでいた。大王様を保護したのち、安全な場所へと移動するにはこの裏門を必ず通る必要がある。そこに潜ませているという事は、つまり…。

「さよなら!」
「―――ぐ、こんな…ガキ一人に…ッ」

相手は刺客なので独特な戦い方に苦戦はしたが、なんとか全員討つ事が出来た。顔を半分覆うようにして巻き付けている白い布は、返り血ですっかり元の色を失っている。

「ハァ、ハァ、流石につかれた」

棍と槍をくるりと回し、血をはらい落とすと馬に跨り、父たちが現れるであろう道を見張り続けた。無事大王様を保護し、刺客を討ったという知らせが名前の耳に入ったのは、それから暫くしてからの事だった。

「信にも困ったものだね、ハハハ」

笑いごとじゃない!と怒り声をあげるのは壁。あれから王宮に入り、壁たちと合流をした名前は王宮の壁に腰を下ろしながら、壁から受け取った筒から水を飲んでいる。
名前が裏門で刺客を倒していた頃、王宮内では刺客が刺客を殺す…という珍事が起きていたそうだ。ちなみに、結果的に大王様を守った刺客は蛇甘平原での戦で信と同じ伍で戦っていた羌瘣という少年らしい。

「そろそろ殿の元へと戻る、後処理が大変だからな」
「頑張ってね壁」
「後で名前も来るように、と殿から仰せつかっている」
「っげ」
「っげ、とは何だ…ったく、お前は殿の息子なのだから、もう少し自覚をだな…」
「はいはい、このお水飲んだから行くから」
「わかってるのか?まったく…では、待っているぞ」

ひらひらと手を振り壁を見送ると、すれ違い様に貂がやってきた。

「おー、貂、お疲れ様」

君も今回一役買ったんだってね、そう笑うと貂も笑い返す。

「名前、裏門で刺客を20人も討ったんだよね!?すごいや!」
「あはは…結構しんどかったけどね」

じゃぁ、父上に呼ばれてるから。と貂に言い残すとその場を後にした。
此度の大王様暗殺事件は、その規模こそ成蟜反乱のものよりも小さかったが、大王様陣営に与えた衝撃はくらべものにならない程大きかった。今、この秦国には大王様をさしおく圧倒的な独裁者がいる――この一見は、ついにその男が大王様にまで牙をむき始めた事を意味していた。
壁たちが徹夜で後処理に追われていた頃、名前は刺客を討った褒美にと安眠の時を勝ち取る事ができた。ぐう、ぐうと寝息を立てている娘を見下ろしながら、昌文君は人知れず溜息を零す。この子は、いつになったら女として過ごせるのだろうか…このまま男として過ごすなんて、この子にとっては酷な事だ…本来ならば、姉蘭と同様に女子として…安全な屋敷の中で暮らすべきだろう。

「……いつかは、伝えなければ」

女子として、暮らしてよい、と。
もう、血なまぐさい戦場に行かずともよい、と。
だからこそ、早く落ち着かなければ。呂氏を牽制し、大王様の世を…。
年頃の娘だというのに、手のひらは槍と棍を握る際に出来たコブだらけでごつごつとしている名前の手のひらをそっと撫でる。

「すまんな、名前」

暫く、辛抱しておくれ。
愛する娘に向けた父の言葉は、夜の風に消えていった。

Published in天穹の果てに