<接触>
あぁ、この服、気に入ってくれてうれしいよ。男は不敵な笑みを浮かべながら、名前の身体の線を雨でびしょぬれになったワンピースの上から指先でツツ、となぞる。ぴったりと服が体にくっついているのもあり、まるで直に触られているかのようだ。悪寒が走り、悲鳴がこぼれた。アーデンの腕を引きはがし、最も離れた場所へ移動する。
どうして毎回自分だけがこんな目に。せめて、この男と遭遇するたびに受けるこのセクハラさえなければ我慢ができるというものだが……。この男には、力では敵わない。だとしたら、できる抵抗は一つだけ。
「静かだねえ」
「…」
聞こえるのは、雨の音だけ。先ほどよりも雨脚が強くなったような気もする。無視をする作戦に出た名前は極力アーデンの顔を視界に入れないようここに来てからはずっと下を見つめるようにしていた。
ノクト達が遺跡に入ってから、まだ30分しか過ぎていないなんて。名前は腕時計の針先を眺めながら、はぁ、とため息を漏らす。
「最近体調はどう」
「…」
「王様のお墓に入っても足元ふらふらしなくなったでしょ」
「…」
「何、一言も話さないつもり?」
奴に乗ってはだめだ。なるべく会話も耳に入らないよう、別の事を考える事にした。だが、そうしたくともこの男は何かとちょっかいを出してくるので、名前は常にピリピリしていた。
「もうすぐで海の向こうだっけ?」
「…」
「ヴィヴィアンの財布、買うんでしょ?」
「…」
どうしてこの話も知っているのだろうか。やはり、何らかの方法で盗聴されているに違いない。名前が苦痛の時間を過ごしている頃、ノクト達はアラネアと共に遺跡の奥を目指しシガイを倒しつつ進んでいた。彼女と行動して分かったことがある。それは、彼女が帝国に雇われている傭兵で、近年の帝国が内部から見てもおかしいこと。そして、皇帝の娘が十数年前に突然消息を絶っている、という話を耳にした。
「あたしもあんまり詳しくないんだけどさ、どうやら蒸発したらしいんだよね」
「…皇帝の娘が?」
「そうだよ、娘の名前は何だったか忘れたけど、確かグラウカ将軍の婚約者だったはずさ」
「グラウカって、テネブラエを攻めた…」
「この間の戦争で死んだけどね」
子供の頃、ノクトは父王と共にフルーレ家の統治するテネブラエへ足を運んだことがあった。その時、帝国のグラウカ将軍に命を狙われ、ルナフレーナ様とは離れ離れに。そして、彼女の家族は兄以外皆殺しにされてしまい、テネブラエは帝国の領土となった。当時を思い出し、ノクトはぎり、と奥歯をかみしめる。
「いい気味だ」
「アラネア、教えてほしい、その娘がどこかで生きている、という事は考えられないか」
「いいや、多分死んでるよ、帝国生まれの人間はすべて死ぬまで管理されてるらしいから」
その言葉に、プロンプトは一瞬動揺しそうになってしまったが、物を落とすふりをして何とか誤魔化した。彼にはまだ仲間に伝えていない秘密がある。いずれは話をしなければならないだろう、と分かってはいたが。
一方、名前は差し出された紅茶にも手を付けず、静かにただ床を見つめている。だというのに、アーデンはお構いなしで名前にちょっかいを出す。髪をさらさら、と指先で遊びながらアーデンは名前の唇に冷たい人差し指をあてた。人の唇で、遊ばないでほしい。あまりにもしつこいので、手を挙げようとしたら、ぎり、と強い力で腕を掴まれる。このパターンでいいことが起きた例は一度も無い。しまった、と後悔してももう遅い。
床に倒れ込む名前を抱きかかえるかのように、アーデンは彼女の首筋に腕をあて、そして。
ぱち、ぱちと電流が体を駆け巡る。毒を食らった時のような感覚に、名前は呼吸も忘れ、男に唇を奪われた。生まれて初めてのそれに、どうすることもできずがたがたと身体が震える。ぐい、と閉じていた足の間に膝を押し付けられ、無理やり暴かれる。アーデンの身体がより密着すると、名前の頭には最悪の考えが思い浮かんだ。そして、身体が急激に冷たくなるのを感じた。
と、次の瞬間。ガン、ガンと身体の内側から何かが暴れ出しそうになるのを感じ、その痛みに名前は今まで上げた事のないような悲鳴をあげる。
抑え込まれた腕が燃えるように熱い。何やら模様のようなものが浮かび上がっていたが、この時の名前にはそれを確認することも、ましてや自分がどうなっているのか気にする余裕などなかった。浅く息を繰り返し、痛みをやり過ごそうとするものの、痛みは一向に消える気配はない。むしろこの男が触れている場所が大やけどをしているかのような痛みに襲われ、ボロボロと痛みで涙を零す。
アーデンはこうなる事をわかっていたかのように、苦しみ、汗を滲ませる名前の額をやさしく撫で、こぼれる涙を唇でやさしく掬い取り、笑った。
「ああ、やっぱりそうなるよね」
腕から広がっていた模様が、首のところまで届くようになった頃、アーデンは自身の額を名前の額に当て、何かを呟く。すると、赤い光のような模様は見る見るうちに消え、名前の呼吸が落ち着いた頃には元通りになっていた。ぼんやりとした意識の中、名前は男が笑っていることに気が付く。
「くく、やっぱり憎いなぁ、神様たち」
アーデンが何かを呟いたが、意識を手放してしまった名前がそれを知る事は無かった。
それから数時間後、名前は誰もいない飛空艇の中で目が覚めると、いつの間にかにあの男がいなくなっていることに気が付いた。いなくなってくれて喜ばしかったが、同時に恐ろしい事にも気が付いてしまった。先ほどまでの出来事をどうしても思い出せない、なんて一体どうなってしまったのだろうか。
「―――私、どうしたんだろ…無理やりここに連れて来られたのは覚えてるんだけど……」
駄目だ、何も思い出せない。頭を抱え、ううん、と小さく唸っていると、無事遺跡から出てきたノクト達の声が聞こえてきた。わからない事を考えるのはやめよう。名前は飛空艇を飛び出し、ノクト達の元へと駈ける。
「お帰り―――!良かった、無事で…ミスリルは?」
「ばっちり」
「よかったぁ…」
「それより、名前、君の方は大丈夫だったのか」
「え?あ、うん、特に何もされなかったし…」
きっと、夜中だったので疲れて眠ってしまったのだろう。最近は疲れると一瞬で眠ってしまうのでそうだとしても何ら不思議ではない。
「そっか、よかった~、実はイグニスとノクトとその件で話をしてたんだよ、何かあったらどうしようってね」
「何かって…うわ!サイテー!」
「わっ、俺じゃないよ!?そう言ったのはノクトだよ!?」
「はぁ!?俺に振るなよ!!」
「ゴホン、とりあえず、何とも無かったのだから、このままレスタルムに戻ろう」
実際にはその何かが起きたが、当の本人には記憶がなく、ノクト達も遺跡にいたので何もなかったという名前の言葉を信じている。飛空艇から見えるレスタルムの光を眺めながら、名前は腕がチクリと痛むのを感じた。