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星のこども/35

<ワルツ>

さあ、片手を俺の左手に。耳元でそう囁くアーデンは、珍しく上機嫌だった。人のいない城の大広間で、虚しく音楽が響き渡る。まるで廃墟のようだ。時々ぷつ、ぷつとレコード特有の音を聞きながら名前は考えていた。この男が自分にしつこくつき纏っていた理由は、イドラの血を引いていたから。帝国を乗っ取るつもりだったのだろうか…いいや、ここに来る前からすでにここはこの男に乗っ取られていただろうし、そこはあまり重要ではなさそうだ。だとしたら、星のこどもが要因だろうか。この男は、星のこどもという単語にとても敏感だと思う。

「なに、考え事?」
「―――」
「ああそう、でもこういう時に考え事って、パートナーに失礼だから気を付けようね」
「―――!」

ぐぐ、と腰を密着され男の息がかかる。

「さあて、何から聞きたい?」
「―――貴方は、何者」
「おや、意外なところからついてくるね…そうだなあ、俺はアーデン・イズニア……でも、もう一つ、名前がある、それはね」

彼が告げた名を聞き、全身に衝撃が駆け巡る。

「……どうして、貴方が」
「さあ、どうしてだと思う?」
「……」
「俺さあ、君と同じく特殊な体質でね、当時、とある寄生虫が流行っていたんだよ……その寄生虫にかかった人間は、シガイと呼ばれ……そう、殺される対象だった。それは今も変わらないね、現に君たちは、彼らをたくさん」
「やめてッ」
「殺した」

罪人を裁くかのように。深い、低い声で名前の耳元で囁いた。
とんでもないことをしてしまったのだろうか。名前は涙をぽろぽろとこぼす。その様子を慈しむかのようにアーデンは名前の頬に触れ、そしてその唇で彼女の涙を優しく拭う。

「ああ、きれいな涙だね…きれいな涙を流す君だけど、その手は罪もない人々の血で穢れている」
「―――やめてッ」
「シガイだから殺しても問題ないだろう、と思ってた?」
「やめてッ」
「彼らさえいなければ世界は平和、ならば彼らを殺そう、そう思っていっぱい殺してきたの?」
「やめてって言ってるでしょ…!お願いだから…!」
「そうやって、現実から目を背けるのは良くないと思うよ」

逃げようとする名前の腰を掴み、彼女の脇腹をつつ、と撫でる。

「この中にさあ、何がいると思う?」
「―――何、よ」
「もう一人の神様……一度は会ったことあるでしょ?」
「……」

ああ、夢の中でみたあの人だ。だが、その人が何だというのだ。アーデンが脇腹を指先で撫でていることに対して妙なむず痒さを感じながら、名前は言い返す。

「だから何なの!?」
「その神様、俺の味方なんだよね…だから俺が望めば、嫌がる君の、身体を好きに弄ぶ事が出来るんだよね」
「―――ッ」

嫌だ、そんなのは絶対に嫌だ。首筋にざらざらとした男の舌が這うのを感じ、名前は悲鳴を漏らす。

「―――あらら、気を失っちゃった…ほんとにこの子は弱いねえ」

気絶した名前を、アーデンは軽々と片手で支える。赤いドレスを身に纏った名前の姿はまだ幼く見えたが、不思議な美しさがあった。

「このまま歳取らないんだもんね、可哀相に」

彼女がこの先、例え神の思惑通り星のこどもとして、導の役目を担ったとする。しかし、老いる事もない彼女の姿を見て、人々は恐怖を感じる筈だ。人間とは、未知なるものに恐怖を抱くもの…それは昔から、痛い程理解をしている。恐怖を感じた人々は、彼女を迫害するかもしれない……しかし、迫害されたところで、彼女に本来来るべき死は、星が与えなければ訪れないもの。アーデンは青白い表情で眠る名前の頬にそっと触れ、彼女の名を呟く。

「名前、ゆっくりお休み」

そう、まだ時間はたっぷりあるのだから。
名前をベッドに横たわらせ、アーデンは重たい扉を閉める。例え、ノクト達がここに現れて彼女を連れ戻そうとしても、自我を失った彼女をどうすることもできないだろう。

「神様の思う通りには進ませないからね…さあノクト、早く来ておくれ」

もう、待ちくたびれたんだよ。真の王様をね。
でも、あと少しだけなら我慢してやれる。アーデンはクツクツと笑った。

『―――ええ、お願いね』
『姫様がそれを望むのであれば』

名前は不思議な夢を見ていた。
自分が半透明になっており、周りの人にはこの姿が見えないようだ。写真立てにいたあの赤毛の女性は扉の向こう側にいる人物に何かを呟き、そして再び扉を閉じた。彼女の手のひらには、1個の小瓶が握られている。

『……これで、私も、自由に』

不思議と、彼女の気持ちが名前の頭の中に流れ込んでくる。彼女は今、帝国の姫として生まれた自身の運命を呪っていた。帝都で生まれたものは、誰しもが管理され、チップが埋め込まれている。それはイドラの娘であるガブリエルも同じこと。このチップがある以上、ここを出て行けばすぐにばれ、国に連れ戻される事は言うまでもない。亡命をしたくとも亡命すらできない。その制度を作ったあの男が、まさか手を貸してくれようとは。
彼女は小瓶の中の液体を勢いよく飲み乾す。

『……ついに1週間後ね…』

1週間後、あの男の手を借りて手術を行う。結果的にあの男の子供を身ごもらなくてはならなくなってしまったが、それに愛などというものはない。お互いの利点が合致しただけのこと。間もなくこの腹に宿るであろう赤子は、生まれたらすぐあの男に渡すこととなっている。そして、彼女は手術の際チップを外してもらい、この国から亡命をするつもりでいた。

『……お腹の子に罪はないけれども、わたしが自由に生きるには、これしか…』

あの男も妙な男だ。自分の子供が欲しいのだ、と言うのだから。あの男の見た目であれば、言い寄ってくる女の1人や2人、沢山いる筈だというのに。
そして、場面は突如変わり、土砂降りの雨の中を走る彼女の姿が目に入る。よく見れば、彼女は帝国兵から逃げていた。

『……はぁッ、はあッ…!うぐッ…!』

腹を抱えながら走っている様子からして、そこには命が宿っているのだろう。しかしおかしい、先ほどの場面で彼女は赤子が生まれたらすぐにあの男の引き渡すことになっている、と言っていたが、何故帝国から逃れているのだろうか。
そして、再び場面は変わり名前の見慣れた光景がそこには広がっていた。ずいぶんと腹の大きくなった彼女は、もう生きている事が奇跡な程やつれ、顔には死の色が滲んでいた。

『あの…そこのお方……』
『―――貴女は、一体どうしたの!?』

ヴィクトリアだ。随分と若い母の姿に、名前は思わず声を漏らす。しかし、彼女は気が付かない。名前に気が付かないまま、ヴィクトリアは彼女をとりあえず自身の家まで運び、ベッドに横たわらせた。

『一体何があったの…』
『わたしは、色々とあり…帝国から逃れてきたの……お願い、この子だけは守って…ある人にこの子を渡す約束をしたのだけれども…やっぱりあの人には渡せない―――』
『帝国…貴女は何者なの…』
『ガブリエラ・エルダーキャプト……ニフルハイム帝国の者です……』

その名に、驚きと同時にヴィクトリアの瞳から憎しみを感じ取った。

『どうして敵国であるここで、そんなことを伝えたの』
『―――貴女なら…この子を助けてくださると思って……なんと、なくなんだけれどもね』
『……何を、言っているの』
『わたしは、神話にあまり詳しくないから…でも、夢の中で、誰かに言われたの…この子は、星のこどもだから、帝国から離れなさい、と。そして、ここにいるあなたを頼りなさい、と誰かの声がして……それでここまで来たの』
『―――!!』
『…最初は、どうでもよかった…でも、この子に愛情を感じている自分がいて……だから、わたしは、男の約束を破り、ここまで逃げてきた』
『……フルーレ家とそれにかかわる者達しか、その名を知らない筈なのに、貴女がそれを知っているというのは妙ね……いいわ、あなたのお腹の子の面倒は見るわ』
『……ありがとう……』
『―――!』

亡くなる前、彼女は小さくつぶやいた。
彼女が命を懸けて守った、愛娘の名を。

Published in星のこども