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星のこども/37

<王座にて待つ男>

亡骸の吊るされた王座で、男は彼がやってくるのを今か今かと待ち続けている。彼がクリスタルに吸い込まれて何年が過ぎただろうか。世界は闇に包まれ、今や朝すら訪れない。シガイに溢れた暗闇の世界で人間が生きる事は難しく、彼らはレスタルムの街などまだ明るい場所に逃げていた。中にはその場にとどまる者もいるが、殆どがシガイに襲われ命を落としている。

「ああ、やっぱり黒の方が似合うよね」
「…」

アーデンの膝の上に座らされた名前は、虚ろな表情で空を眺めていた。

「にしても、遅いよねえ」
「……」

本当に、遅い。待ちくたびれ過ぎて、イライラするよ、と呟くアーデンに名前は何も言わない。

「ねえ、名前、君もそう思うでしょ?」
「……」

名前に、自我はない。というより、これまで色々な衝撃的事実を知らされ、塞ぎ込んでしまった、と言った方が正しい。心が壊れてしまった名前はあれから笑う事も、怒り声も上げる事もなく虚ろな瞳でどこかを眺めるだけだ。自分が言う事も、大人しく順ずる名前にアーデンも気をよくしているのか、ここに来てからは王座にいるとき、必ず名前を膝の上に乗せるようになった。長く伸びた髪はまとめていなければ地面にぱさりと広がる程、彼女の髪は伸びたが、彼女の時は止まったままだ。星のこどもの為、神の生贄にヴィクトリアが自らの命を犠牲にしたあの日から名前の肉体の成長は止まってしまった。老いることなく、死ぬことも許されず。虚ろな世界を揺蕩う不完全な存在、それが今の彼女だ。星のこどもとして、もう半分は覚醒してしまっている。残り半分は、これから潰すつもりだ。アーデンは名前の首筋を撫であげながら、不敵な笑みを浮かべる。

「安心して、星なんかに、君をやらないから…」

ようやく手に入れた、自分と同等の存在にアーデンはほくそ笑む。
しかし、もはや、名前の瞳はどの色も映してはいない。虚しい世界で、名前は心を閉ざしたまま。もはや人形となってしまったが、それでも、アーデンは彼女を大切に、大切に城に閉じ込めた。
なにしろ、彼の実験はかれこれ何百年と繰り返し、それでも彼の子は授かる事はなかった。ようやく手に入れた自分と同等の存在、共に永久を生きる存在を手に入れたかと思いきや、星の意思で我が子は星のこどもになってしまった。星に抱く恨みがさらに大きく膨れ上がったのは言うまでもないだろう。

「大変だったんだよ名前」

君にたどり着くまで、俺がどれほど苦労をしたか。
ようやく長い孤独から解放されると思ったのにな。アーデンは虚ろな名前の頬をいとおしげに触れる。

「そうだ、久しぶりに散歩でもしようか」

外はずーっと暗いけどね。と楽しげに笑うアーデンに腕を引っ張られながら、名前はシガイの蠢く王都を歩く。美しかったかつての王都の面影は既に無く、シガイたちの蠢く音が虚しく響き渡っていた。
あれから、もう何年が過ぎただろうか。名前の心はあれから閉じこもったまま、出てこようともしない。ただ、唯一、彼女が彼女として意識を取り戻す事がある。それは彼女を組み敷いた時。その時、唯一彼女は涙を流した。悲しみともとれるその涙はシーツに染みを作り、彼女の想いと共に消えていく虚しき雫。
虚しく続けられる、この無意味な行為に男の心ははたして満たされるのだろうか。それは、彼のみぞ知る事。幾年と過ぎても老いる事のない名前は、少女の姿のまま何年も彼の傍らにいた。屍の王、アーデンは彼女が流す涙すら搾り取るように、彼女の身体を暴き、穢し続けた。もう二度と、光など浴びさせぬようにと、闇色に染め上げる。そうすれば、彼女はもう己の使命で苦しまなくて済む。そして1人闇の中、アーデンは法悦の笑みを浮かべた。

その夜、名前はぼんやりとした世界の中で目が覚めた。身体は軽く、夜のはずが外からは明るい光が差し込んでいる。

「…どういう、事なのかしら…」

鏡に映る自分は、まるで自分ではないようで。確かに、名前の姿はしていたが、こうはっきりと自分の姿を捉える事が出来たのは、もう何年振りだろうか。外は明るく、あの男もいない。そこで、ああ、ここは夢なのだと気が付く。しかし、夢だと気がついても夢の世界から抜け出せず、名前は重たい扉を開き、とりあえず部屋から出ることにした。
ついに、夢にまで光の世界が出てくるなんて。名前は小奇麗な庭で1人、王都を思い出しこぼれそうになる涙をこらえる。

「―――」

すると、庭の向こう側から誰かの泣き声が聞こえてきた。一体、誰が泣いているのだろう、泣きたいのはこっちの方だ。名前は泣き声のする方へ向かうと、そこには赤毛の青年が誰かの墓の前で涙を流していた。どことなく、あの男を彷彿とさせるその姿に、名前は反射的に悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押さえる。

「―――誰だ」

どこか冷たい感じのする整った容貌に、叩きつける様な口調で名前に言い放った。気付かれては、もう遅い。

「ごめんなさい、覗くつもりはなかったの…でも…その」
「ここは、よそ者は立ち入れない筈……お前、何者?」

いつの間にかに距離を詰められ、そして腕を思い切り捻りあげられ名前は悲鳴を上げる。

「きゃあッ……い、痛いッ…!」
「言え」
「わ、私は名前……」
「そう、名前、君は何故ここに?ここは俺と母さんだけの屋敷だ…」

よそ者が入っていい場所じゃない。言葉を鞭のようにしならせながら、青年は名前を青葉の上にたたきつけ、馬乗りになり、頸に手をかけた。名前はどうしてもあの男にされたことが今と重なり、恐怖のあまり短く息を繰り返し、青年に懇願する。許してほしい、と。すると、青年の瞳から怒りの色が消え、冷たい声色でここから出て行け、と名前に言い放った。

「……何なのかしら、あの人…それに、ここはどこなの…」

何とか青年の手から逃れる事ができた名前は、生まれたての小鹿のような足取りで屋敷から離れる。ここは一体どこなのだろうか、何故、突然こんなところに来てしまったのだろうか。夢でも、痛みは感じるものなのだろうか。名前の頭の中には山のように疑問が浮かんでは積み重なっていく。
行く当てもなく、人の集まっている場所にたどり着いた名前は人々の噂話に聞き耳を立てた。

「へえ……殺されちまうのか…そりゃ、感染した人間は逃げるしかないよな…」
「何でも、感染を抑える為、らしいけれどもね」
「可哀相だが、殺してくれた方が俺たちの為になる、アイツらがいるだけで周りに広がっていっちまうんだからよ」

なんだか物騒な話が聞こえてくる。

「…怖いねえ、治療できないんだろ?かかっちまった奴はさっさと死ねばいいのさ」

何処を歩いても話題は恐ろしい寄生虫の話ばかり。彼らの話を整理して分かったことは、ここでは原因不明の謎の病が流行っており、その病は治療が不可能、かかった者は苦しみながら死に、死後その肉体は恐ろしい怪物へと姿を変えるらしい。治療は出来ず、感染の恐れがあるその病にかかった者は、決まりで殺される事となっているそうだ。とんでもない場所に迷い込んでしまった、と名前は1人ため息を吐く。

「ここ…何なのかしら……」

これがもし、星のこどもとしての能力ならば、何か意味があるはず。こんな不思議な夢、一度も見た事がなかったので、名前はもしや、と考える。

「あら、新聞…!」

風にあおられて名前の足元に誰かの読み捨てた新聞が転がってきた。まるで、見計らったかのようなタイミングだ。それを手に取り、中身を確認するがそこには見た事もない年号が記されており、名前は頭を抱える。

「何なのよここ…!」

夢にしては、妙に生々しいような。吹く風もどこか生ぬるく、外が不気味なほどに静かだった。

Published in星のこども