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星のこども/47

<人を殺すということ>

全てを焼き尽くす赤に飲み込まれる黒を、ただ茫然を見つめる事しかできず、名前はジュゥという蒸気の立つ音に、ごくりと生唾を飲み込む。魔法障壁を使う間もなく、シフトする間もなく落下していった彼女の、死の恐怖に歪む表情が脳裏に焼き付いて離れない。

「…アーデン、その、死―――」
「死んだだろうな…」

しかし、身を守るため仕方のなかったことだ。此方だって命がけで戦っていたのだから、とアーデンは震える名前の肩にそっと手を置き、落ち着かせるかのように優しく諭した。
事の発端は、最近頻繁に現れるルシス家の2人組の片割れが今日はなぜか1人で現れた事から始まる。アーデン曰く、彼女の名前はミラ・ルシス・チェラム。ルシス本家の人間で、ノクトと同じような黒髪に、青い瞳をしていた。その彼女が、いつも一緒にいるシリウス・ルシス・チェラムとは別行動で襲い掛かってくるとは思ってもいなかったので、アーデンも名前も反応が遅れてしまい魔法の攻撃を直に受けてしまった。彼らとの戦いはこれまでの魔導兵や野獣たちとの戦いとは異なり、全く予測ができない。何よりも、連日の治療と魔法の使い過ぎで体力の消耗が激しいアーデンが満足に戦えるはずが無く。曖昧な記憶ではあるが、彼が殺されそうになった時、名前は無我夢中で何らかの魔法を唱えたような気がする。そして、気が付けば彼女はそのまま赤いマグマへと落下していった、という訳だ。

「…私、殺しちゃったのね」
「人間を殺すのは初めて?」
「……うん」
「―――あれは人間じゃない、だから、気を病む必要はないよ」

と、その時アーデンに震える身体をぎゅうと抱きしめられ、ふわりとすべてを包み込む甘い香りを感じ、そこでようやく自分が涙を流していることに気が付いた。彼を助けるために必死だった…だが、生身の人間を、この手で殺してしまったことには変わりない。初めての恐怖に身体は震え、涙が洪水のようにあふれ出てくる。そんな名前を、アーデンは更に強く抱きしめた。

「俺もね、名前ぐらいの年頃で戦争に出て、初めて人を殺した…だから、お前が感じているその気持ちは、よくわかる―――今日はもう休もう」

俺の為に、命がけで戦ってくれたのだから。そう呟きながら、アーデンは名前の冷たい頬にそっと触れた。暖かい彼の手のひらを頬に感じ、2人の視線が絡む。
日が暮れた頃、2人はシリウスが襲ってくることを恐れ、早々にラバティオ火山を下山し、人の多い街へと戻ってきた。
彼はこの時代に生きていて、自分はこの時代の人間ではない。どうして生まれた時代が違うのだろうか。この時代に生まれていれば、彼女を殺めた事に対してこんなにも苦しまずに済んだのかもしれない。この時代に生まれていれば、彼と時を過ごす事が出来たのかもしれない。そんな、どうにもならない≪かもしれない≫という言葉が浮かんでは消えていった。

夜、宿のベランダで名前は1人夜空を眺めていた。使ったことのない魔法を使った為、名前も体力の消耗が激しく、ラバティオ火山もゆっくりと進まなければ下山することができなかった程だ。お互いに負傷し、とても危険な状態ではあったがそんな中アーデンは名前を守るようにして道中野獣と戦ってくれた。そんな無力な自分が情けなくて、悲しくて。あの時、彼を失う恐怖を感じ、無我夢中で魔法を放った。彼女の最後の顔が脳裏に焼き付いて離れず、名前は自身をぎゅっと抱きしめる。あれから時間が経ったというのに、未だに手が震えているなんて。
同じ人間の命を奪う事が、こんなにも苦しいなんて。ふと、名前はあの男の言葉を思い出した。グラレアで、あの男は魔導兵が元々人間だという恐ろしい事実。

「……ああ、そうだわ…私…もう、沢山、殺していたんだ…」

どうして、そのことを忘れていたのだろうか。きれいな手ではなく、既に―――。

『星に仇名す者は、星によっているべき場所へ戻される』

と、その時。
突然頭の中に響く声が聞こえ、名前は慌てて立ち上がろうとするがこれまでの戦いで体力をかなり消耗している為、立ち上がる事が出来ず転げ落ちる。ああ、どうしてこういう時に限って1人なのだろうか。嫌な汗がジワリと滲んだ。
ちなみに、アーデンは薬を買う為この街の端のほうへ向かっている筈なので、助けを呼ぼうにも呼ぶことができない。それに、彼も負傷しておりとても戦える状況ではない。こういう時は、どうしたらよいのだろう。赤い光に包まれ、現れたその影と距離を取ろうと動くが、足が満足に動かない。
この影が、あの時現れた者と同じで、人間ではないことは間違いないだろう。あの時は、人を導く者だと言っていたが、神になったつもりなのだろうか。名前は短剣を構え、青い瞳をスゥと細めた。

『あの男はいずれ消される運命』
「……貴方、何の用できたの」
『貴様に忠告をしてやろうとわざわざやってきてやったというのに』

黒い影は、やれやれと言った様子で肩を竦める。

「ならさっさと言いなさいよ」
『――間もなく、貴様は元の世界に戻される、貴様がどう足掻こうとも、歴史は変わらない』
「―――ッ」

この影は、名前の正体を見抜いていた。しかし、直接手を下すわけでもなく、忠告だけ述べるといつの間にかに消えている。あれが何者であれ、敵であることには間違いなさそうだが…。

「元の、世界に戻される…か」

誰もいなくなったベランダで、ぽつりとつぶやく。もしかして、あの影は名前がここに来た理由を知っているのではないだろうか。なるべく会いたくない相手ではあるが、次もし出くわす事があれば聞いてみるのもいいかもしれない。これを、アーデンに話すべきかどうかが問題だろう。名前は膝に顔を埋め、うーんと小さく唸る。

「でも…そっか…もう、そんな時間が経ってたんだ」

彼と出会って数か月が過ぎ、気が付けば彼に淡い恋心を抱くようになっていた。憎いあの男によく似ていているのに、どうしてこうも好意を感じるようになったのか…。それは、彼があの男によく似ているが、異なる存在だからというのが大きいだろう。しかし、理由はそれだけではないと最近気が付いた。同じ赤毛で、どこか境遇が似ている彼と自分を重ねてしまったからだろう。同じ孤独を経験し、運命に抗う彼をただ黙って見ていることはできない。
ぱたん、と音がして振り向くと、薬の袋を抱えたアーデンが戻ってきていた。

「おかえり、ごめんね、歩けなくて…」
「命がけで俺を救ってくれたんだから、これぐらいはさせてよ」
「……でも」
「でも、は無し…ほら、温かいスープを買ってきたよ」

と、頬に温もりを感じ振り向くと、マグカップに入ったスープを名前の頬にそっとあて、優しく細められたアンバーの瞳と視線が重なった。
暖かいから、元気になる。そう優しく呟くアーデンに、名前は胸がぎゅうと締め付けられるのを感じながら小さく笑った。
彼とこうして過ごす日々も、もうそんなに残されていないのか。その現実が、ただただ悲しくて、苦しくて。でも、もう泣いてばかりではいけない。零れ落ちそうになる涙をぐっとこらえ、名前はスープに視線を落とした。

Published in星のこども