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星のこども/50

<人間として>

アーデンが倒れてから1週間が過ぎ、介抱の甲斐があり立ち上がれるまでに力を取り戻した彼だったが、まだ外には出られなさそうだ。リンゴの皮を丁寧にむき、一口サイズに切り取ったそれを彼の口に運ぶ。両腕の皮膚は黒ずみ、その為両手の自由が利かない状態だったので仕方のないことではあるが、それにしてもこの黒ずみ、一体いつになったら完全に引くのやら。
高熱で倒れた頃よりは随分と薄くはなったが、これが彼の行う治療の副作用と言うべきか。

「…何から何まですまない」
「こういう時は、ありがとう、って言うものよ」
「―――ありがとう」
「ハイよく出来ました」

リンゴを差し出し、微笑む名前にアーデンは恥ずかしそうに視線を泳がせる。この人が、あの男のワケないか…。二つ目のリンゴをむき始めた名前はそんな彼の様子を見て内心つぶやく。

「大丈夫だった?」
「…何が?」
「あいつら…来なかった?」
「―――えぇ、大丈夫よ、不思議なことにね」

この村はノーマークなのかしらね。と、名前は笑うがアーデンはこれに裏がある事を薄々勘付いてはいる。

「俺のせいで、寝不足なんだな…」

リンゴをシャリシャリとむく名前の目元を、ふわりと指先でなぞるアーデン。彼は、自分が倒れている間、名前一人に負担をかけてしまったことに対して申し訳なさと、悔しさを感じていた。

「大丈夫、これぐらい」

貴方の方が辛かったでしょう、と触れてきた彼の手に触れ、名前は、はにかんだ様に笑う。と、その時、温かいものが唇に触れた。ふわりと感じた甘い香りに、青い瞳を見開く。頬に、唇に、彼のぬくもりを感じたその時、名前の中で何かが崩れていくような音が聞こえた。
唇が離れた時、真っ直ぐな彼の瞳とぶつかり、暫くの沈黙の後、彼の口からぽつり、ぽつりと言葉が紡がれていく。

「―――俺、お前の事が」

ああ、駄目。彼が言葉の続きを言わないよう人差し指を彼の唇にあて、名前は顔をくしゃりと歪ませながら呟く。

「それ以上は、言わないで」
「どうして…」

ぽろぽろと零れ落ちる涙は止めどなく降り注ぐ。彼が告げようとしている言葉は、もうわかってしまった。だからこそ辛い。間もなく訪れるであろう別れの時に、彼の言葉が心の杭になるからだ。今まで、人を愛したことはあるが、心の底から、添い遂げたいと思えた人は彼は生まれて初めてだった。生まれて初めての初恋が、こんなにも苦しいものだったなんて。涙を優しいしぐさで拭うアーデンの腕に抱かれながら、苦しげに言葉を漏らした。

「私……」
「ごめん、迷惑だったよな」
「―――違う、の、そうじゃ、ないの……ああ、ごめん、どこから話せばいいのか…」

未来から来た存在で、間もなくこの時代を去る事を、いつ伝えるべきか。彼への想いを抱いたまま未来の時代に戻るなんて、はたして自分はそれに耐えられるのだろうか。

「…無理に話さなくていいよ、でも、どうしても、伝えたかった」
「―――わかるわ、言葉にしなくて」

だから、辛いの。あふれ出した感情に、身体が追い付いて行かない。しゃくりあげる名前の背をさすりながら、アーデンは彼女の首筋に顔を埋める。

「戦いを終わらせたら、どこか、2人で静かに暮らせる場所を探そう」

誰にも邪魔をされない、心穏やかに過ごす事の出来る、静かな場所を。ああ、そんな願い、叶わないのに。胸を上下させ、名前は涙を零す。

その夜、名前はアーデンがすうすうと寝息をたて眠っていることを確認し、ベッドにもぐりこんだ。彼がきちんと息をしているのを確認するようになったのは、最近見る悪夢のせいだった。しかし、こんな事彼には話せない。睡眠不足で限界を迎えた体を横たわらせると、嫌でもすぐに眠りについてしまった。そして、名前はやはり来てしまったこの世界で絶望の声を漏らす。

『…私に、何をさせるつもりなの』

幼い名前が、黒い靄に向かって話しかけている。しかし、黒い靄は言葉を音として発することはなく、名前の頭に直接語り掛けてきた。

『とっても大きな仕事だよ』
『おおきな仕事?』
『そうだよ、君にしかできないんだ!』
『それは、私が星のこどもだから?』
『そうだよ、君にしかできない、星のこどもにしかできないおおきな仕事なんだ』
『それは何なの?』
『守ってほしいんだ、揺り籠を』

その時が、訪れるまで。黒い靄がそう呟くと、幼い名前の周りからにょきにょきと白い手が沢山生えてきて、足を掴もうと襲い掛かってくる。

『やめてよ!』
『逃げられないよ!だって君の運命は生まれた時、すでに決まっていたのだから!』
『誰がそんなことを決めたの!』
『イオス創生の神!この星で最も偉大な存在さ!』
『六神のこと?』
『はは、彼らなんて神の使いに過ぎないんだよ、本当の神様はね…眠り続けているんだ』

その時が、訪れるまで。黒い靄が二ィと笑ったような気がして、底知れぬ恐怖を感じた名前は走り出す。

『揺り籠の番人は、星に選ばれた者じゃないといけないんだ!』
『揺り籠ってなんなの!そんなの知らない!』
『君もよく知るアレだよ!』

そこは、君が永遠の眠りに就く場所。黒い靄は再び二ィと不気味な笑みを浮かべながら、必死に逃げ続ける名前をまるで蝶を追いかけて遊んでいる子供のように追いかけ、言葉を続ける。
揺り籠の番人として使命を終えた星のこどもは、揺り籠の糧となり、新たな神を孕む、もうわかったかな。黒い靄は名前の首を掴み、ぐぐ、と暴れる彼女を持ち上げた。逃げられない事実と、正体不明の存在に対して名前は泣きじゃくって暴れる。

『それこそ、新たな生を手に入れた創生の神の目覚めの時!』

永劫に眠り続ける創生の神を目覚めさせる為、長い時間をかけて星が一人の男の運命をグツグツと煮込み、煎じ、生み出した存在。それが、星のこども。
黒い靄は尚も言葉を続ける。

『君が誰か、なんてどうでもいい事なんだよ、君には使命がある、その使命の為に君は死ぬことができない、つまり、君は使命を果たせば楽になれるのだから足掻くだけ時間の無駄って訳さ』
『足掻くわ!人間として生まれたのだから!』
『まだ言うか!貴様は人間ではない!創生の神が生まれ変わるための生贄の分際で!』

すると、黒い靄は名前の身体を無数の剣で突き刺していく。あまりの痛みに意識を飛ばすかと思いきや、肉体が勝手に治癒され、死んだ方が楽だと思わせる程の長い苦しみの時間が訪れる。こんな悪夢を毎晩のように見ている名前だが、不思議な事に朝になると夢の内容を忘れてしまう。ただ覚えていることは、毎晩同じ夢を見ていて、疲れ切った朝を迎えるという事だけ。

Published in星のこども