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星のこども/54

<理不尽な世界>

なんとも慈悲深い彼の父は、彼自身の処刑を目の前で名前に見物をさせれば彼女を生かしてやろう、と彼に条件を突きつけたのだった。それで彼女が助かるならば、とアーデンが頷かないはずが無い。そして、冷たい風の吹き荒れる深い谷を、アーデンは歩かされていた。この時彼は、スピカの言葉を思い出していた。これからも、彼女は無事―――つまり、確実に助かる事を。たとえどんな生が待っていようとも、生きていれば未来を切り開く事が出来るだろう。そう、信じていた。
間もなくここに身を投げる事になる訳だが、この光景を彼女はどんな気持ちで見させられているのだろうか、と思うだけで心臓がぎゅうと締め付けられるような痛みを感じる。彼女にしてあげられることは、命がけで彼女を救う事だけ。アーデンは感覚のない左手をぎゅっと握りしめ、1人悲しみのため息を漏らす。

「ついにこの日がやってきた」
「…シリウス、嬉しそうね」
「当たり前だ……ミラの、復讐がようやく果たせる…」

少し離れた場所から、正装を纏ったシリウスとスピカが、アーデンが処刑されるその時を待っていた。勿論、スピカはアーデンが処刑される運命であることも、そして…この死が星に定められた使命の始まりであることも知っている。すべては、複雑に絡むそれぞれの魂の宿命を組み合わせ、神によって精巧に造り上げられた一つのシナリオに過ぎない。
シナリオの結末は至って簡単。それは、新たな生を受けた神の誕生。神の敷いたシナリオにはそれぞれ異なる宿命を与えられた出演者が存在し、今、まさに殺されようとしている彼こそがこのシナリオで最も重要な演者だった。
悪を悪とし、悪であるが為の存在。
遠い未来、クリスタルの解放をさせる為の贄。
そして、星のこどもを誕生させるための鍵。
最後に、彼が消滅した後、星のこどもがその時が来るまで星の導として、神の揺り籠であるクリスタルを守護する者として、時を過ごすことになる。すべては神の敷いたシナリオ通りに進むようになっているのだから、どう足掻こうとも、結果は同じ。
スピカはどの色も宿さない瞳で、彼と対面するように吊るしあげられている彼女を見上げた。腕からは夥しい血が流れ、魔法で瀕死の状態を保たれている。彼女こそ、彼の未来の子供であり、星のこども…このシナリオの、最後の演者だ。

「なんとか生きているようね」

温度のない声でスピカが呟くと、シリウスが視線を名前の方へと変え、彼女を嘲笑い、小言を漏らす。

「…ああ、あの娘か…殺してはいけないのだろう、この手で殺してやりたかった」
「…役目を終えたから、こちらが手を下すまでもない、という事よ」

あの子は、間もなくここから消える。あの子は、彼がいるからここにいるだけよ。と淡々と答えるスピカに、シリウスは顔を顰める。

「やはり殺すのか?」
「―――言ったでしょう、手を下すまでもないと…クリスタルの元へ連れて行きましょう、クリスタルが、あの子を元の場所へと戻す」

そして、彼女も思い知る事となるだろう。自分の、宿命を。
ふふ、とスピカはどこか自嘲的な笑い方をした。

「…演者は揃った……始まるのね」

創生の神による、理不尽な物語が今、始まる。そして、今日、ルシスという一つの国が産声を上げる事となる。

「―――言い残す事は無いな」
「―――」

喉を潰しておいて、あえてその言葉を選ぶ残虐性。敵は皆殺しにして良い、滅ぶまで徹底的に。それがこの時代のルシス家の掟だった。アーデンはぼやけた視界の中、ただ一点だけを見つめていた。鎖につながれた、痛々しい姿の彼女を。あんな状態になってでも、本当に彼女は助かるのだろうか。今更そんな心配遅かったが、そう思わせる程名前の容態は悪かった。
ガブリと指を親指を噛み、大地に赤い文字を綴る。それは、彼の最後の懇願でもあった。どうか、彼女だけは助けてほしい、あの鎖から、ルシスから解放してほしい、と。

「―――ああ、いいだろう」

彼女を助けるつもりは、微塵もない。今死ぬ男に嘘を吐こうが別に良心は痛まない。アーデンの父は、剣を掲げ、そして―――。

『―――名前、あいしているよ』

闇へ吸い込まれていくそれが、確かにそう呟いた。
状況を、よく理解できなかった。まるで鎮静剤を打たれた時のような朦朧とした意識の中、名前は胴と離れ離れになってしまったそれを、虚ろな瞳で眺めていた。胴と離れ離れになったそれは、深い谷底へと飲み込まれ…胴も深い、深い谷底へと吸い込まれて消えた。

そのまま泣き崩れる事も許されず、肩が外れようともお構いなしに肉体をずるずると引きずられ、名前は不気味な気配を放つそれの目の前に放り投げられた。骨も折れ、呼吸すらままならないこの肉体に、一体何をさせようとしているのか。すると、アーデンの父が近くに控えているスピカに声をかけた。

「これで、すべて整った」
「―――はい」

温度のない声でスピカは答える。いくらクリスタルの声が聞こえるルシス家だとしても、未来を詠めるわけではない。今となっては、ルシス王国の王であるアーデンの父は、まんまと星の思惑通りに動いた、という訳だ。クリスタルを与え、特別な魔力も与え…このクリスタルは彼らに国を作らせるまで順調に事を進めている。なんと恐ろしい存在だろう。言葉にはしないが、スピカはこの中で眠る神が恐ろしくてたまらなかった。

鎖から解放されても、名前は身動き一つしない。息をしていない訳ではないが、動こうにも身体は動かず――――。と言うよりも、生命力という生命力を失っていた。生きるという気持ちが、彼女には今残されていない。
コツ、コツと大理石の床を進み、そこで力なく倒れている少女に向けてスピカは語り掛ける。音ではなく、直接頭に響かせた。

『―――貴女の役目は終わりました、未来へ還りなさい、星のこども』
『……』

彼女がそのことを知っていたことに対して、もはや驚きすら感じる事も無く、虚ろな瞳で大理石を見つめる名前の頬にそっと触れ、呪文を唱える。すると、赤い光が彼女を包み込み、次第に彼女を”分解”していった。

『―――最後に教えてあげる、貴女がずっと疑問に思っていたこと…アーデン・イズニアは、貴女のよく知る男…彼は、今より数百年後、生ける屍として目覚め、数千年の間、孤独の時を過ごし、そして―――貴女と、出会う。貴女をここに飛ばしたのも、星の仕業……それはね、神の敷いたシナリオには必要不可欠な要素だったからよ……星のこどもである貴女なら、もうわかるでしょう、あの人は神に選ばれた贄、その贄から生まれた貴女もまた贄。』

その言葉は、名前に絶望を与えるには十分すぎた。消えゆく肉体が再構築され、いつもの赤い結晶に包まれた空間にたどり着いた時、名前はすべてを知った。すべて、神のシナリオ通りに事が進んでいること、そして、彼が自分に執着していた理由も―――。
気付いた頃には、もう遅い。突如二ィと不気味な笑みを浮かべた黒い靄が名前の目の前に姿を現した。こいつが何者なのか、もうわかっている。名前は渾身の力で黒い靄に魔法をぶつけるが、どんな強い魔法でも黒い靄が手を伸ばすと霧のように消えていった。

『……おまえは、神―――ッよくも…よくも…私や、アーデンの人生を…よくも…!』
『―――ようやく気が付いたようだね…ずっと君の様子を見ていたのに、気が付かなかったから寂しかったよ』
『―――おまえは、おまえだけは、許さないッ!』

せき止めた水があふれ出るかのように、呪詛の言葉を吐き出す。

『君はどうして二人もお母さんを失ったと思う?』
『―――知らないッ、おまえがッ、殺したんだ!』
『不正解―――星のこどもを目覚めさせるには、生みの母親が死ぬ必要があったんだよね…なぜかっていうと、君の父親の事を考えてごらん…彼の母親もまた、殺されているだろう?』
『―――そんな、そんな理由で…』

怒りで声が震える。このままではけ感がちぎれてしまうのではないだろうか、という程に、名前は怒りに震え、唇の端からは血が流れていた。

『母親を殺す…これが、心の闇を産む、母親は生き物にとって絶対的な存在さ―――心に闇が無ければ、それは生きているとは言えないからねえ…同じ過去を背負った者は、やがて一つの道にたどり着き……そして、出会う』
『―――まさか、それも、すべて…』
『ああそう、神様のシナリオ通りさ…だけれども、あの男は度々僕らを邪魔してきた…僕らの存在を消そうとした…裏切者の力を使ってね…』
『……イフリートのことね…』

今考えれば、アーデンの元に居て不思議な体験をしたことは何度かあった。その時は決まって記憶が無くなり―――。つまり、そういう事なのだろう。答えに結びつき、名前は青い瞳を見開く。

『ああ、そう、勘違いしているようだから先に言っておくけど、僕は神様なんかじゃないよ…僕は君を監視するための存在―――君のお父さんが使命を果たしたら、僕は消えるから安心しなよ』

ケタケタと不愉快な笑みを浮かべるそれに、再び殴り掛かる。しかし今まで一度も攻撃が当たらず、やり場のない怒りをどこへぶつけたらよいのか分からず、目頭がカッと熱くなった。

『そんなに僕の事が嫌い?でも安心してよ、もう、消えるからさあ』

すると、黒い靄は煤のようなものを放ち始めた。名前の心臓はドクンと脈打ち、早く目覚めろ、目覚めろと必死に訴えかけるが一向に目覚める気配はない。こんなことをしている間にも―――彼が、消えようとしているというのに。言葉にならない悲鳴が、赤い結晶の世界にこだました。

Published in星のこども