<星のこども>
世界は、名前に悲しみに暮れている暇など与えてはくれなかった。
それから、ノクトがその身を犠牲にして使命を果たし、世界は光を取り戻した。10年ぶりの朝日に、仲間たちは嬉しいやら、悲しいやら、複雑そうな表情を浮かべていた。何しろ、この朝日はノクトの犠牲の光。名前は赤く光る瞳を細め、自身の肉体に現れた変化に表情を曇らせた。
「名前…大丈夫か」
腕の手当てを終えたグラディオが名前の傍に駆け寄り、不安げに顔を覗き込む。
「―――クリスタルが、再び力を蓄え始めた」
「―――わかるの?」
と、声をあげたのはプロンプト。今回の戦いで両足を酷くケガをしてしまったプロンプトは立ち上がれる状態ではないので、少し離れた瓦礫の上に腰を下ろしている。プロンプトの質問に、名前は静かに頷いた。
「―――本当に、名前が女王に就任することになるのか」
「ああグラディオ、ノクトから頼まれたことだ…名前はそれでもかまわないのか」
ぽん、と優しく名前の肩を抱くイグニスに、名前は苦笑を漏らした。まだ悲しみから立ち直れていないというのに、もう前に進まなくてはいけないなんて。
「―――えぇ」
それ以外、道はない。なぜなら、彼女は神が作り出したシナリオの、最後の演者だから。ここですべてを投げ出してしまったら、ノクトが何のために死んだのか、ルナフレーナが何のために命がけで彼を守ったのか。彼女を守ろうとしたレイヴスだってそうだ。そして、2人も母が、無駄死にという事になってしまう。もはや、人ではない名前に、人として生きる事は許されない。
「世界を立て直す為、力を貸してくれる?」
そう呟くと、3人は深く頭を下げ、名前に向かって最敬礼をした。
立ち止まっている暇なんて無いのだから。これからが一番大変な時…インソムニアの中心で眩く輝く巨大な城を、名前は静かに見上げた。
―――そして、あれからどれだけの月日が流れたのだろうか。
もはや時間の感覚も、よくわからなくなってきた。仲間たちはとうの昔に名前を残し旅立ってしまい、名前だけが立ち入る事のできる古都インソムニアでぽつんと1人、神の眠るクリスタルと永遠とも思える時を過ごしていた。
仲間の死は、とても辛かった。彼らが死んで、本当に一人ぼっちになってしまったのだと感じた。名前が女王になってすぐ、シドが亡くなり、それから50年と過ぎ、コル将軍が亡くなった。それからは、あっという間だったと思う。
民主主義国家となった現在のルシスでは、女王を必要としなくはなったが、正式な式典などには呼ばれる事があった。もはや神とも言える存在へとなった名前は、今から600年程前から古都インソムニアで暮らすようになった。最初の100年は激動だった。そして、気が付けば200年、300年と時が過ぎ、あっという間に1000年以上が過ぎた―――。今となっては懐かしい、あの人もこの苦しみを味わっていたのか、と思うと今でも胸が痛む。
時は傷ついた心を癒してくれると聞いたことがあったが、この傷は癒してはくれなかった。もしかしたら、人間以外は癒してくれないのかもしれない。名前は玉座から見える青い石を見つめ、ふふ、と自嘲的に笑う。
「いつになったら目覚めるんだろうね、この中で眠る赤ん坊は」
神の眠るこのクリスタルをずっと守り続けて来た。星が望む未来へと導いてやった。しかし、こいつが目覚めない以上、名前に安らぎの時は訪れない。
「もう、疲れちゃったよ」
星によって生ける屍の状態である名前は食事をする必要が無い。なぜなら、力のようなものを常に星から与えられているので、食事をしたのは最初の100年間だけでそれからは一切食事をとっていなかった。
死がこんなにもいとおしくて、待ち遠しい。
何百年経とうと、人間の本質は変わらない。彼女がイオスにいた間、大きな戦争が何度も繰り返され、その標的は次第に神へと移っていった。この頃になると、あのクリスタルにもようやく変化が訪れた。古都インソムニアは古代の魔法で守られた幻の都市なので、魔力を持たない人間はここを見つけることすらできない。そうして守られ続てきたクリスタルだったが、ついに、その日が訪れた。
ある日、何故か古都インソムニアの魔法結界が解け、同時に大勢の人々が古都に押し寄せてきた。その光景を玉座から静かに見下ろしながら、名前はクリスタルから現れたソレがこちらに近づいてくることに気が付く。
「―――あぁ、ようやく目覚めたのね…」
そして、ソレが形を成す前に、ソレは名前の前から姿を消した。古都に押し寄せてきた人々から逃げる為か、それとも彼らを迎えに行ったのか。真相は分からないが、久しぶりに晴れた古都はとても美しかった。太陽の光が、心地よかった。
「…太陽の光、あったかい…」
魔法結界が解けた今、彼らは間違いなくこの城へ向かっている。敵国の神に、戦争の怨みでもぶつけるつもりなのだろうか。
彼らは神に抗い人間の手で歴史を作り上げていくのか、それとも私と同じように神に支配されるのか。名前は自嘲的に笑う。この数千年で神に抵抗できることはやってきた。それは、真実の歴史を後世に伝えること。自分には成し遂げられなかったが、この時代の人たちならばできるだろう。神の目覚めた今、名前の務めは終わった。これから静かに、彼らに殺されるのを待つのか、それとも―――。
「迎えに来たよ、名前」
懐かしい、あの人の声が聞こえたような気がした。心臓なんてとうの昔に動かなくなっているのに、心臓が脈打っているような気がして、名前は玉座から立ち上がる。
「…どこにいるのッ…」
走るのなんて、もう何百年ぶりだろう。失った熱を取り戻したかのように、身体が熱い。重たい扉を開き、名前は駆ける。間もなく人々がこの広間に押し寄せてくるだろうが、今の名前にとってそれは問題ですらなかった。あの声が、確かにあの人の声が聞こえた。長く、ルシスの紋章が入った黒いドレスを引きずりながら、あの人を探して走る。
そして、あの人を見つけた。
あの背中は、見間違えるはずが無い。あの癖ッ毛を、見間違えるはずが無い。あの熱い眼差しを見間違えるはずが無い。
彼が消えた場所に、手を広げ名前を待っていた。ああ、ようやく、会えた。名前は彼の前に立ち、彼の頬に触れる。幻でも構わない、彼に会えた、それだけでもいい。すると、彼に強く抱きしめられた。抱きしめられて、彼が泣いていたことに気が付いた。
「本当に、あなたなの?」
「…あぁ」
今まで、1人にしてごめんね。久しぶりに感じた彼のぬくもりと、ふわりと心地よく香る甘い香りに、名前はとうの昔に失ったものを取り戻した。目が焼けつける様に熱く、耳の奥が痛い。熱い雫がはじけ、大地を濡らす。
「もう大丈夫だから…ずっと、一緒だ」
抱きしめ、彼女を安心させるように囁くアーデン。彼がこの手を離すことは、二度とない。
「もしかして、ずっと待っていてくれていたの」
「…そうだよ」
いとおしそうに、名前の頬に触れる。
初めは憎しみ合っていたというのに、気が付けば、恋に落ちていた。
それは、彼を知ったから。
彼が自分と同じく、神のシナリオの犠牲者だったから。
例え血の繋がった親子であったとしても。
「…私…もう…苦しまなくて、いいのね」
「―――いっしょに眠ろう、名前」
ずっと、この時を待っていた。名前はアーデンに抱きしめられながら、嗚咽を漏らす。そして、彼からの優しい口づけを受けながら、2人は光の粒となり、空へと消えていった。
消えるとき、仲間たちの懐かしい声を聞いたような気がした。